4年生特集③~跳躍女子・投擲編~

こんにちは!1年全体マネージャ―の赤石です。

本日も昨日に引き続き4年生特集をご紹介します。

今回は跳躍女子・投擲編です。
競技面、運営面で様々な方向から競走部を牽引されてきた方々です。どのコメントも個性があふれるものとなっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

岩屋佑未奈(経済4・跳躍・副将)

七転び八起き

上手く冬季が越せたと思ったら、「怪我」を繰り返してしまった4年間だったと思います。それでも大学生活の全てを陸上競技に捧げたと胸を張って言えます。関東インカレに出たいと思って入部しましたが、全日本インカレの舞台を味わえて、最高の景色が見れて幸せでした。そして大切な仲間たちに出会えたことは人生の宝です。
ありがとうございました!
お世話になりました!!!

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入部当初、ゆみなさんは私に「自分がわくわくするような選択をして突き進んでほしい」と言ってくださいました。私はゆみなさんの強さの所以は誰よりも競技を楽しんでいることにあると思います。コメントにもある通り度重なる怪我に悩まされたり、副将という立場で部について考えを巡らせたり、ゆみなさんの競技人生はさまざまな苦労があったと思います。それでも競技に直向きに向き合い続けたのは誰よりも競技を愛し、楽しみ、自分が決めた選択を全うすることに強いこだわりを持っいたからなのではないでしょうか。(検討違いだったらすみません、、)念願叶って全カレで見せてくれたゆみなさんの笑顔は一生忘れません!!

これからもゆみなさんらしく頑張ってください!迷った時はゆみなさんが「わくわくする選択」を。

4年間お疲れ様でした!(赤石)

 

 

浦津ななの(環情4・跳躍)

3m80

4年間変わらなかった自己ベストです。

高校3年生の8月、奇跡的に跳べた3m80という数字が、実績と自信になり、
それに伴わない大学入学後の実力で何度も自分に落胆しました。

高校生の自分が出したこの数字でたくさん苦しみ、たくさん泣きました。
再び大学生の自分が出したこの数字では、全カレA標切り3年ぶりのPBタイでたくさんの人が喜んでくれました。

高校生の奇跡的な3m80も、大学生で跳んだ3m80も、たくさんの異なる想いと葛藤が詰まっていることに変わりはないので大事な数字です。

棒高のことを考えて、棒高で落ち込んで、棒高で嬉しくなって、思う存分競技ができてとっても幸せでしたー!!
自分の好きを貫ける環境を作ってくださった方々に感謝してます。

棒高本当に楽しかったな〜〜〜

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コメントにもある通り「3m80」という偉大な記録はななのさんの競技人生を彩った反面、ななのさんを苦しめた記録でもあると思います。「強者である」ことは一見幸福なことに思えますが、「強者であり続けること」は一種の呪縛とも言えます。それでも歩むことを一切やめず、直向きに棒高跳びを続けたななのさんの競技に対する情熱は計り知れないものです。またどんな時でも笑顔で接してくださる姿はとても素敵でした。
いつも誰よりも大きい声で「お願いします!」と言ってから魅せる強気な跳躍はとてもかっこよかったです!

いつまでも溢れる情熱をもって、突き進んでいってください。

P.S 更衣室でちょくちょくお話できて楽しかったです笑またお話聞かせてください!
とても幸せな時間でした!!(赤石)

 

大久保綺更(環情4・跳躍・副将)

変人

図らず変人と言われ続けた4年間でしたが、未だに納得はいってません。
ただ、私より遥かに個性溢れて変人で最高な仲間たちと、真面目にチームや競技について話し練習する時間は本当にかけがえのないものでした。
これからの競走部も楽しみにしています!
ずっと応援しています!!

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競走部に入部してから選手のストイックさには驚かされることが多々ありますが、きさらさんはその中でも群を抜いていると思います。きさらさんは本当に本当にかっこいいです。初めて練習帯同をした時、夜が更けても跳躍し続ける姿がとても印象的でした。またただ練習するのではなく、誰もが驚くような視点からのビデオ撮影を依頼したり、初心者の私にも意見を求めたりさまざまな工夫があり度肝を抜かれました。
また3度目の跳躍で3m90を飛んで表彰台に乗った関東インカレ、骨折をしている状況でも跳躍し続けた全日本インカレなどきさらさんの跳躍で心を揺さぶられた瞬間が何度もあります。
独創的なアイディアとどんな状況でも人々に感動を与えてくれるきさらさんの跳躍は誰にも真似することができないと思います!

これからのきさらさんの人生にも彩りが溢れますように。心の底から応援しています。(赤石)

伊藤達也(商4・投擲・主将)

みんな大好き

僕はただ漠然とやり投げをやりたいという理由で競走部に入りました。チームに入った頃は、特に慶應や競走部への愛はなく、ただ自分のために陸上をやっていました。チームのためになんて、2年生の秋くらいまで考えていなかったと思います。

それでも、この競走部でいろんな人に出会い、お互いに高め合い、支えられていることを実感していく中で、少しずつチームのことが好きになり、このチームのために頑張りたいと思うようになりました。

4年生のシーズンでは、主将となり苦しいことも多かったですが、みんなが大好きだからこそ、1年間やり抜くことができました。本当、みんな大好きです!!愛!

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達也さんは勝手にいわゆる「教室の端を丸くするタイプ」だと思っております。日々部室に座っていると、いろんな人を気にかけ、話しかける姿を目にします。また練習時は後輩のために保存しておいた動画を見せてわかりやすく指導をしたりとても頼りになる先輩です。それはきっと達也さんに備わっている無償の他者愛なんだと思います。本当に素敵です。そんな達也さんですが、今では競走部屈指の競技者ですが入部当初は結果に伸び悩んでいたというお話をよく耳にします。それでも競技への並々ならぬ思いを持ち、努力し、偉大な結果をもって部に貢献した実績は計り知れないものですし、その姿は全現役部員に夢を与えています。まさに主将としてあるべき姿でした。

主将として大きな背中を見せ続けるのはきっと凄まじいプレッシャーだと思いますが、私の見ていた達也さんはいつもかっこよかったです。

4年間本当にお疲れ様でした!!(赤石)

齊藤凜太郎(法4・投擲・投擲ブロック長)

あどはだり

達也:「あどはだりそば美味しそう、あどはだりって何?」
   「あどはだり、あどはだり、発音面白いね、で、りんたろうあどはだりってどうゆう    意味かわかる?」
り:   「あどはだり、あどはだり、あどはだり、おもろ」

4年間を表す一言を何にしようかとと思っていたところ、投擲合宿で達也があどはだりそばを頼んだことを思い出しました。あどはだりの発音が面白かったらしく、投擲合宿中ずっとあどはだりを連呼していました。あどはだりって何?と聞かれて、ググりました。

あどはだり あと(後で)+はだる(ねだる、催促する)
津軽弁で、もっと食べたい!、おかわり!、何回もまた繰り返したい、おねだりする、貪欲に催促する という意味がある。

要するに達也の注文したあどはだりそばは、おかわりしたくなるほど美味しいそばという意味でした。実際にとても美味しそうに食べてました。
前置きが長くなりすみません、そろそろ本題です。

僕にとって競走部で過ごした4年間はまさにあどはだりでした。
自分をインターハイに連れてってくれた父と恩師の新田さんに関東インカレで入賞して恩返しをしたい!という入部当初思い描いていた目標を叶えられなかったですが、この4年間は総じて言えば間違いなく充実して満足したものだったと感じます。


競技面だけ見れば入学して記録を出したい!という一心で練習に励み、試合で思うように結果がでず、結果をあどはだり(ここでは催促する)していた日々だったと思います。結局、結果を出したいという思いだけが先行し焦燥感と悔しさで空回りし続け納得のいく記録が出ることはありませんでした。特に法曹の道へ進むか陸上をとるかで苦しんだ2年の春夏、競技のことを四六日中考えすぎて頭がおかしくなり考えすぎて試合に出れば出るほど記録が落ちていった3年生は非常にしんどかったです。結果を出したくて焦り、努力をして、結果をみて絶望する。4年間この繰り返し。結果出ないのになんのために必死こいて競技やってんだろう、意味ないじゃん。本当にその通り。結果を出さなきゃ、苦労は報われない。救いようがない。自分の不甲斐なさに何度打ちのめされたかわかりません。今これを書いていても目から血が吹き出しそうなほど悔しいです。

これだけ悔しい思いをしましたが、それでもこの4年間は自分にとって良いものでした。何度も陸上をやめようと思いながらも自分と向き合い続けたこと、一生ものの友達や先輩、後輩ができたこと、同期や後輩とたくさんバカをしたこと、幹部として競技以外である程度は競走部に貢献できたと思えたことなどなど、今思い返せばいろんなことが誇らしく楽しかったです。辛くてしんどいこともたくさんありましたが、それと同じくらい楽しいことが多かった。最終的に結果に対しても、やれるだけのことをやってそれでもダメだった、そうゆう意味でとても大満足です。自分の可能性を最後まで信じて意地でもやりを投げ続けた4年間は自分にとって非常に価値のある経験でした。この4年間貫き通した結果にこだわる姿勢を社会人になっても大切にし続けたいと思います。

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凜太郎さんは普段はユーモアに溢れていて、思わず笑ってしまいますが、時々意味深長で考えさせられることを言ってくださいます。、コメントにもある通り、凜太郎さんの競技人生は苦悩が大変多かったようですがそれでも4年間競技に向き合い続けたことは計り知れない財産だと思います。また以前集合の時、自分ができることを模索した競走部生活だったとおっしゃっていました。さまざまなところに目を配り、いろいろな思考を巡らせて生活してきたことは大変辛いことであったと思いますが、乗り越えてきた凜太郎さんだからこそ溢れんばかりの人望があるのだと思います。またコメントから4年間に満足するもしないも、後悔するかしないかも全てを決めるのは自分を取り巻く環境ではなく自分の行動次第だと思いました。

凜太郎の競走部での勇姿は今後の生活を必ず華やいだものにしてくれます。素敵な姿を見せていただきありがとうございました。

 

以上です。

明日はサポート編です。乞うご期待ください!!