4年生特集③~中距離編~
こんにちは。こんばんは。
マネージャー兼主務補佐を務めております2年の藤永です。
さて、今回は4年生特集の3日目ということで中距離種目のM2生・4年生を紹介いたします!
それでは、、、VAMOS!!
井関亮太朗(商4・中距離ブロック長)
「最高の選択」
4年間の競走部生活を振り返ると、コロナの影響で部の活動が大きく制限された他、毎年のように故障で長期離脱するなど紆余曲折ありました。
しかし、恵まれた環境で800mに全力で打ち込めたこと、幹部として貴重な経験させてもらったこと、熱い思いを持った沢山の同志達と出会えたこと、本当に幸せに思います。
高校卒業まで関西で過ごした自分が上京し、慶應義塾大学に進学し、競走部の門を叩いたことはまさに”最高の選択”でした。
4年間本当にありがとうございました。
先日の4年生ブログで、「自分を信じることの大切さに気付くのが遅かった」
それが自分の後悔であることを語っていましたね。
しかし、ご自身が思うより自分を信じていたんじゃないか、そんな風に私は思います。
というのも、ブログで、井関さんは周囲の人々に恵まれたとも書いていました。
その点について、私は個人的に、井関さんが自分を信じていたからこそ自信を持って「最高の選択」と言える4年間を創ることができたのではないかと感じています。
つまり、
「自分を信じた」からこそ競走部の門を叩いた自分がいて、
「自分と仲間を信じた」からこそ周囲が一緒に高みを目指したい、サポートしたいと思えるようになり、その帰結として、「最高の選択」と思える競走部生活4年間、競技生活10年があったのではないかと。
そう思うのです。自分への、仲間への「信頼」。
それを体現する強い選手でした。お疲れ様でした。
(藤永)
梅沢龍輝(総合4・副将)
「弱さと向き合え」
組織に貢献するとは、自分のプライドを捨て去ること。弱さから逃げていては何も成長しないことを、主幹部にさせてもらった最後の一年でようやく気付かされました。
記録が出ないのが怖い?また何も貢献できなかった自分が恥ずかしい?マネさんトレさんに会わせる顔がない?次はどんな言い訳を考える?
全部自分の弱さです。
結局、最後まで僕は勝ち切ることはできませんでしたが、この一年、それらを跳ね返せたことは今後の人生の大きな糧となりました。
気づかせてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
自分が思っているほど弱い選手ではないことをみんな知っています。
ただ、人より自己肯定感が少し、いやかなり低いだけです。
「強い選手」を追い求め、副将として、幹部として競走部に何ができるか。
それらを考えた1年は間違いなく今後の糧になることでしょう。そして、この前の早慶戦の応援メッセージにて、井関さんからもありましたが、昨年の早慶戦の1500mは個人的に思うところがあったでしょうし、みんな心配していましたことと思います。それでも今年の早慶戦、慶應の選手の中で一番に帰ってきたのは梅沢さんでしたし、己が思う弱さを克服していると感じさせてくれる瞬間の一つでもありました。(別に弱いと言っているわけではないです。)十分すぎるくらい強いです。すでに。強いから、自信持ってこの先に待ち受ける高く遠い世界を見てきてください!(藤永)
河野慶太(環境4)
「 」
まだまだやり残した事が沢山あるので白紙にしました。1年後書きます!
今年に関しては、故障で勝負以前といったシーズンだったかと思います。
それでも着実に復帰、復調してきており、来シーズンを期待させてくれる選手です。
あと1年。されど1年。1年しかないのはご自身が一番理解されているところではないかと思います。
昨季は両インカレ出場、早慶戦1500m優勝の河野さんが見据える来季、そしてやり残したことを全力でサポートするとともに、そこに見えてくる景色を楽しみにしています。(藤永)
田村颯斗(商4・主務)
「それっぽく淡々と」
「それっぽく 淡々と」
僕の4年間はラスト1年間の密度が高かったので、この1年を表す一言にしました。
この言葉は僕の主務としての活動指針です。
”みんなが当たり前に競技やサポートに集中できる環境を作るためには自分はそれっぽく淡々と物事に取り組む必要がある”
込めた思いとしてはこれだけです。
果たして淡々とこなすことができたのかはわかりませんが、みんなが純粋に競走部での活動に励むことができていたらうれしいです。
106代以降の皆さんの活躍を楽しみにしてます。
105代のみんな、ありがと!
もはや淡々としすぎて怖いくらいです。
絶対に「それっぽく」が必要ありません。
それでも当たり前をつくり出すには、「それっぽく」する必要があることをなんとなくですが認識しつつあります。いや、でもやっぱり「それっぽく」は必要ないです笑。
そして、何よりも競走部みんなが口を揃えて「最強の主務」と豪語する素晴らしい選手でした。
調子が悪い、脚が痛いっぽい。そんな中でも持ち前の集中力とイメージトレーニングでしっかり結果を出せるし、バイク漕いで下駄箱とかトレ室で「あと何秒の命なんだろう?」と言わんばかりの状態で転がっているし、とにかくすごいです。世間をうまく渡っていきそうだし、バリバリというか仕事をこれまた淡々とこなしてそうです。せっかく106代以降にも期待してもらっているので、田村さんと藤木さんが創り上げた105代を越える代を必ずや創ります。(藤永)
細井衿菜(総合4・副将)
「HERO」
「誰かのヒーローになる」細井が頑張ってるから自分も…と、自分の走りで誰かの背中を押すこと=ヒーローになることが、私の陸上人生のテーマでした。どうだったでしょうか…?少しでも何か残るものがあったら嬉しいなと思っています。
でも結果、沢山のヒーローに出会い、そのヒーロー達に支えられてここまで走り続けてこれました。皆さん、ありがとうございました!!
まさにHEROにふさわしい活躍だったと思います。
それは競技力もさることながら、その人柄や人望があるからこそ言うことができるものです。
やっぱり、誰かのHEROになることを目標に掲げるあたりがさすがだなと思います。
きっと、勇気付けてくれた人がいて、支えてくれた人がいて、同じ目標を持つ仲間がいて。そんなある種のHEROに囲まれたからこそ、「自分もこうなりたい」「HEROになりたい」と思うようになったことと思います。そして、ご本人は心配されているのですが不思議なくらいですが、当然に衿菜さんも私たちのHEROでしたし、日本陸上界のHEROでした。尾を引くようで申し訳ないですが、引退が惜しい限りです。しかし、不思議なことに、衿菜さんともなると、社会に出てもHEROを輝かせるHEROになっているビジョンが明確に見えてくるものです。社会でも誰かのHEROになってください。(藤永)
松元泰治(理工4)
「1+1=2 2=?」
こんにちは中距離四年の松元泰治です!
皆さん1+1はなんですか?そうです、2なんですよ、簡単ですね!では、2はなんでしょうか?反射的に僕は2=1+1と答えてしまいました。当然これも正解なのですが、ちょっと考えればいろいろありますよね。3-1だっていいし。4÷2でもいいわけです。1+1は確かに2ですが、それだけが2の作り方ではないんですね!
だからなんだって感じですが、僕はこれを聞いて、ハッとした記憶があるのでここで紹介してみました。やり方に困ったときは、引くなり割るなりしてみてください!
泰治さんらしい一言になりましたね。
これを私なりに中距離の4年生とM2生に当てはめて考えてみたのですが、
2=7÷7+1
になりました!確かに2=1+1ではあるのですが、最初の1を(7÷7)にしたのは、中距離の4年生とM2生7人がそれぞれ1の力を持っているとして、その総量が7。そして、それぞれがその1の力を偏りなく、1ずつ出したという意味で総量7で割って、1になるようにしました。そして、+1は7人を含めた中距離ブロック全員で+1を生み出したという意味を込めて、+1にしました!これで僕なりの2=1+1の証明完了です!穴のあるロジックかもしれませんが、私から見た中距離ブロック、4年生とM2の姿かなと思います。皆さんもぜひ、考えてみてくださいね!(藤永)
齋藤広樹(理工M2)
「怪我 と bike と ワタシ」
大学4年間、大学院2年間での陸上競技はずっと怪我に悩まされていました。計6年間のうち約4年間は走れない期間があったと思います。それでもこのbikeと共に目標達成に向けて努力してきました。最初はキツすぎて全然仲良くなれませんでしたが、最後には親友になれた気がします。パワマありがとう。
辛くて挫けそうになったこともありましたが、数少ない同期や後輩の皆んなに支えてもらってここまで続けることができました。本当にありがとうございました。
一緒に映るものに、変顔の105代主務、bikeで死んだばかりの後輩、そして、大親友のbikeを選ぶあたりに、怪我に悩まされたことや血の滲むような努力が垣間見えます。
bikeを漕ぐとは、死線を越えるということ。
そんな風に私は思います。
bikeを漕ぎ、トレ室や部室に転がる、遺体ともみれるその体。
その隣には、齋藤さんの信頼するミドルの仲間がいましたね。
きついとわかっていて努力する姿が後輩にいい影響を与えていたはずです。
この先、競走部で漕いだbike以上のきついことに出会うことも少ないでしょう。
だからこそ、自信を持って人生のペダルを踏んでいってほしいと思います。(藤永)
以上になります!!
いかがだったでしょうか??
明日は、跳躍と投擲の4年生を特集いたします!お楽しみに!!