107代引退マネブロ〜後輩から見た4年生④〜
こんにちは!全体マネージャー1年の金谷です。
引退まで残り2日の本日も「後輩から見た4年生」というテーマで、107代引退マネブロをお届けします。今週から108代が中心となっての練習も始まり、4年生の偉大さを改めて感じる日々です。
今週末には、日吉陸上競技場にて「第4回ALL KEIO陸上祭」が開催されます(公式HPはこちら✨)。107代の先輩方への花向けとして下級生一同が準備を進めておりますので、こちらもぜひお越しください。
これまでと同様、4年生自身が振り返りを記した引退noteも添付いたしますので、そちらもご参照ください。
今回は8名の4年生へのメッセージです!
鳥塚健太(長距離・理工4)
From 上原佑介(長距離マネージャー・法法3)
長距離ブロック3年の上原佑介です。
全体ブログを読んだ方ならご存知かと思いますが、鳥さんの生活の軸は「マイルール」です。
入部して以来、同じ屋根の下で暮らしてきたからこそ、実感してきました。
選手から学生コーチという立場に変化しても、その軸はぶらさずに生活していたのが見てとれました。むしろ、その「マイルール」がより洗練されたのではないかという印象を持っています。
その「マイルール」とは何なのか。これを知りたい方は多くいると思いますが、割愛させていただきます。気になる方は、是非ALLKEIOの際に、鳥さんに直接話しかけてみてください。
きっと、快く話してくれるはずです。
最後に、鳥さんとマックに行った時のレア写真を載せておきます。
(上原から寄せられた写真)
成仏させて下さい / 鳥塚健太|慶應義塾大学 競走部長距離ブロック 〜選手たちの軌跡〜
内藤涼方(サポート(トレーナー)・法法4)
From 大島琉偉(108代主将・短距離・経済3)
すずさんへのメッセージを担当させていただきます、短距離ブロック3年の大島です。4年生に送るメッセージはこれがきっと最後ですね、頑張って書きます。
今だからこそ言えますが、1年生で入学して間もない僕は、トレーナーという役職も最初の1年を勉強に費やすという事も何も知りませんでした。だから、1年生の時いつも部室で勉強してるすずさんを見て、この人何で練習しないんだろ?何で周りの人は何も言わないんだ?みたいな事を勝手に思ってました。めちゃくちゃ失礼ですね。トレーナーという存在を知った時、心の中で謝ったので時効という事で許してください。
僕の記憶が正しければ初めてすずさんのケアを受けたのは、1年生の慶大競技会です。誰かトレーナーに診てもらいたいなーと思いながら、競技場内を散策してたらすずさんの方から「僕でよければ診ようか?」と話しかけてくれました。先輩の方から声をかけてくれた事がとても嬉しかったと同時に、その後のケアの指圧が強くて泣きそうになった事を覚えています。(今は慣れました)
その日から僕の担当はすずさんになり、練習中どこか痛みが出たり、相談や悩みなどを話すときは真っ先にすずさんの元へ向かうようになりました。最初はケア中に何を話せばいいか分からず無言な事が多かったですが、今では練習の事もそれ以外の事も何でも話せるし、練習で疲れた時は率先してケアに入って何気ない会話を楽しんでいます。一見話しかけづらそうな雰囲気を漂わせてますが、実際はそんなことなく僕がしょうもない話してる時はニコニコしながら聞いてくれるし、悩みや相談をする時は真剣に聞いてくれます。
何人もの選手のケアを行って疲れてるはずなのに、それが終わったら外に出て僕ら選手の練習を見守ってくれるし、ただ眺めるだけでなく、今日の動きは〜みたいにトレーナー視点でアドバイスもくれます。もう本当に頭が上がりません。
今シーズン、結果を残して恩返しするつもりでしたが、関東インカレではチームの足を引っ張って2種目予選落ち、六大学や早慶戦、慶同戦は対抗選手として走れず、日本インカレは入賞はしましたが、メダルをかけてあげる事は出来ませんでした。迷惑ばかりかけましたが、そんな僕に呆れる事なくずっとサポートしてくれた事、本当に感謝しています。
1.2年生では怪我ばかりしてた僕ですが、今年は一度も大きな怪我をする事なくシーズンを終える事が出来たのも、すずさん(と大江さん)のおかげだと思ってます、居なかったら多分どこかで肉ってました。
すずさんが居なくなった後の冬季練習や来シーズンの事を考えるとめちゃくちゃ不安ですが、最後の冬季練習を乗り切って来シーズン結果を残して、成長した姿を見せたいと思います。公式戦見にきて下さいね。また、今後はトレーナーなのに僕ら選手よりマッチョでとても元長距離とは思えない新井くんが担当してくれるそうです。楽しみですね!
聞いたところによるとすずさんは来年の3月くらいまでとても暇なそうです。勉強に嫌気がさしたらご飯に誘って下さい、喜んで飛んでいきます。
改めて4年間本当にお疲れ様でした&ありがとうございました。立派な弁護士目指して勉強頑張って下さい。
仲子綾乃(中距離・副将・総合政策4)
From 倉田紗優加(投擲・環境情報2)
仲子さんの紹介文を書かせていただきます、投擲ブロック2年倉田紗優加です。
入部してからずっと大好きで憧れている仲子さんに書く機会をいただきこの上ない幸せです。ありがとうございます。最大の愛を込めて書かせていただきます!!
仲子さんといえば慶應女子の大エースです。実績は言わずもがなもちろんのことですが、存在しているだけで、背中を見るだけで憧れちゃうような、私も頑張ろうと思えるような、心強い、大きな存在です。
そんな仲子さんの数あるすごいところの中から1つ選ぶとするならばその集中力だと思います。
私はトラックをぐるぐる何周も走ることができない(200m以上は全部長距離だと信じている)ので一緒に練習することはほとんどできなかったのですが、勇気を出して夏休みに一度だけ同じメニューをやらせていただいたことがあります。(短ダッシュ系の練習で、私の最高可能走行距離と仲子さんの最低走行距離が一致した奇跡のメニューです)その際に感じたのはその集中力の凄さでした。仲子さんの3セット目に私が1セット目としてお供させていただいたのですが、3セット目とは思えない集中力と体力で全く歯が立ちませんでした。30mですら勝てませんでした。(瞬発的な要素が求められる“投擲選手たるもの30mダッシュでは誰にも負けちゃいけない“と言われているのですが、、、あれれ、伸び代ということで、、いつかリベンジさせてください!)
常にMAXの集中力で陸上に対して真剣に、自分に対してストイックに向き合う姿勢をもっているからこそ安定した強さ、中学時代からの持続的な強さがあるんだなととても感じたのを覚えています。
仲子さんと同じKマークを背負い戦えた2年間、仲子さんの存在は本当に大きくとても心強かったし、何回も救われたし、モチベーションでもありました。
特に今年の全カレ。
欠場を仲子さんのブログを読んで知りました。ちょうど日吉から自宅への帰路の途中でそのブログを読みました。読み終わってすぐに自然と競技場へと足が戻っていました。私が仲子さんの分もやってやる、と強く思いモチベーションがさらに1段階上がり、もうちょっと練習しようかなとストップウォッチ片手に走ってみました。全カレ当日も仲子さんが関カレでそうしていたように、ユニフォームにあやねさんが作ってくださったミサンガをつけて出場しました。女子の目標は15点獲得でしたが何がなんでも私が16点分取ってやるんだくらいの気持ちで臨みました。結果的には7点しか取れずに猛烈に悔しくて情けなかったけれど右腹斜筋がさよならばいばいするくらい、120%以上の力を出しきれたのは仲子さんの存在も大きかったです。
競技以外でもたくさんお世話になりました。
今年の冬季後半休部するか迷っていた時期にたくさん相談に乗ったり話を聞いてくださったりし、その度に的確なアドバイスをくれて寄り添ってくれました。辛い時は吐き出して良い、と声をかけてくださいました。仲子さんにどれだけ救われたことか。また、仲子さんとペアになれた1on1は私にとって本当に幸せな時間でした。毎回自分の中で考えが足りない部分を確認することもできたし競技に対する考え方など学ぶことも多かったです。仲子さんのことをいろいろ知ることができたのも嬉しかったです。私が競技についてどんな質問をしてもその場でうーん、と考えるというより、既に自分の中にある引き出しから答えを出している感じでした。日頃から集中して物事を深く考えているんだなと強く感じていました。
仲子さん大好き星人倉田はよく仲子さんに話しかけちゃっていましたがその度に真剣な話から強烈なツッコミまでたくさんいただき、ありがとうございました。なんだか仲子さんと話すと自分まで強くなれたような気がしていました。笑
“副将”という立場から色んな感情がある中、先を常にかっこいい背中で歩いてくださった仲子さん、やっぱりかっこいいです。本当にありがとうございました。
私の目標の1つは仲子さんにとって刺激になる存在になる、です。
私ばっかり刺激もらってばかりです。仲子さんにとって刺激になれる、こいつやるなあ、私も頑張ろうかなとちょっとでも思ってもらえる存在になります!
全カレ前のブログに、まだ諦めていない、PBを出すことに全てを賭けていると書かれていた通り、PBで最高のガッツポーズしている仲子さん見たいですし、とにかく全力で応援しています。
とにかく大好きです!!!
(倉田から寄せられた写真)今年の佐賀国体のアップ中に仲子さんに会えたの嬉しすぎたあああ
ブログは後日更新!
羅ヘス(サポート(トレーナー)・文4)
From 三浦和真(跳躍・理工学システムデザイン工学科M1)
こんにちは。
ヘスちゃんの担当になりました。跳躍ブロックM1の三浦です。
例に倣って「下級生から見た107代の先輩」というテーマでやっていきます。
テーマ的に自分が担当なのはおかしいと思いながら、せっかく任されたので真面目に書いていこうと思います。
ヘスちゃんは自分より一つ下の107代のトレーナーです。
107代は10/26(土)のALL KEIOをもって引退となり、寄せられるメッセージの内容は寂しいですとみんななるはずなんですが、今年の4年生はいろんな理由から部に残る子が多いみたいです。
尊敬する先輩たちがたくさん残ってくれるということで後輩たちもとても嬉しいのではないでしょうか。自分としても1個下の子たちも抜けてしまうとさらに寂しくなるなと思っていたのでうれしい限りです。
ヘスちゃんもそのうちの一人で、皆さんご存じの通りあと一年一緒に戦ってくれます。これまた自分としてもこの一年ケアを担当してもらっていたりしたので、最後の一年も見てもらえるのはうれしく思います。
選手として来年16m跳んで結果で感謝をお伝えできるように冬季そして最後のシーズン頑張りたいと思います。
さて本題についてですが、自分から見たヘスちゃんは頑張り屋で素直な優しい子かなと思います。
自分も4年になるまで知らなかったのでほとんどの人が知らないんじゃないかなと思うのですが、誰か選手に競技特性や技術的なところの話をきいて、予想される怪我やその対処・予防について他のトレーナーたちの前で発表するというトレーナーの研修みたいなものがあります。
ヘスちゃんに教える担当を任され、三段跳の恐ろしさについて1か月ほどみっちり説明したことがあります。熱心に話を最後まで聞いて、いろんな質問をしてくれました。そしてわからないところがあったときは「ん~~~、あ分かった…かもしれないです?」と気遣ってくれました。優しい子です。
ただでさえ日本語学んでいる途中なのに、日本語下手な感覚派の説明でさらにわかりにくい部分が多かったと思います。本当に申し訳なかったです。とはいえ、これがきっかけでヘスちゃんと仲良くなったと思います。
なので、ケアで休みがないくらい引っ張りだこなヘスちゃんを見ると、トレーナーとしての何かを教えたわけではないですが、なんだか喜ばしく感じます。
あと一年ありますが、頑張ってほしいと思います。
まだまだヘスちゃんのいいところはたくさんありますがこの辺りにします。
最後に、ヘスちゃん引退おめでとう(?)。あと一年よろしく!
「안녕하세요 나혜수입니다!」(羅ヘス サポートブロック)|慶應義塾体育会競走部
日根千晴(跳躍・商4)
From 関口さら(跳躍・環境情報2)
ちせいさん!!
ほんとは別のをゆいちゃんに提出してたんですけど、寝ようと部屋暗くした後ふと思い立ち、引退ブログ見直したら更新されてて。直したくなっちゃいました。
一人一人にメッセージくれるちせいさん、、、!
改めて、素敵だなぁって。でもメッセージ欲しい人もっといると思うんで引き続き加筆よろしくお願いします。
ちせいさんなら全員いけます。
さて、ちせいさんについて何を語るべきでしょう。一度目のではちせいさんのこと、ちゃんと書けてないなぁって考え直しているんですけど、いつも見せる楽しそうな姿が基本で、なんとなくみんなが想像つくようなことばっかり思い付きます。
それでもとりあえず挙げるとすれば、言うまでもなく「フレンドリーさ」はありますね。間違いなく。
ちせいさんには沢山「ひねちる」がいます。話したことがあればもう、ひねちるだそうです。強制加入です。なので私はどっぷりひねちるです。
ちせいさんって、懐に入るのが上手ですよね。決して第一印象がいい方ではないかもしれません、最初目つきとかで怖がられるよね〜って前話した気がします。(私もそうで。)
でも気づいたら、なんか好きになってますね。(私がそうで。)
なんででしょうね。
なんかあのゆるい感じでしょうか?
んーわからないけど、とりあえず良いとこ悪いとこ全部ひっくるめて認めてくれそうですよね。「え、それな?」って。
あとは仲良くなりたいと思えばいくらでも絡みにいけちゃうフランクさとか?
監督とビーリアルとるー!って生き生きしてたちせいさんが懐かしいです^^
人間だけじゃなくてわんこにも絡んで好かれてましたね砂浜で^^
明るい楽しいちせいさんはいくらでも振り返れますね。
でも私、前からいっこ気になってたんです。
ちせいさんはどんな気持ちで陸上と向き合ってきたのか。
4年生の引退ブログを日々読むと、どんな人でも沢山悩んで苦労しているのだと気付かされます。PBが出なかったり、怪我が続いてしまったりして、ちせいさんにも苦しい時があったはずです。
でもそんな姿は全然見えなくて。
最後のブログくらい、そんな思いを吐き出すかもって、ほんの少し期待してブログ開いたんです。でも、やっぱりといいますか、暗い部分全くなかったですね。
「楽しかった」「沢山感謝している」主にこの2つだけでした。特に感謝の部分が長くて。
あーちせいさんだなぁ。
ただただそう思いました。
最後まで、ひょうひょうとした姿のまま引退しちゃうのかと。
だから何って訳でもないんですけど、ちょうど最近インサイドヘッド見まして。
多分あれって「喜び」は自立して存在できない、コインの裏表のように「悲しみ」もいて、人に「悲しみ」の面も見せることで優しくされたり共感されたりして、そうしてまた喜びを生み出すことができる的なお話し、なはずです(?)
「悲しみ」を人に見せず楽しく生きるには、自力で沢山頑張らないと、楽しそうには見えないと思います。なかなか大変です。
ちせいさんとお話してて、愛情深い面に気付いたことがありました。
人の悲しみには、全力で寄り添うことのできる人なのだと。
後輩の私には楽しい面しか見えなかっただけかもしれませんが、それでも競走部に、跳躍に、「喜び」を、笑いを届け続けてくれたちせいさんにはきっと、見えない「強さ」があるんだろうなって思います。
結局明かされずじまいですが、あのブログはやっぱりちせいさんらしくて素敵です。
私、ちせいさんのいる跳躍ブロックがとても好きでした。
ちせいさんのおかげで肩肘張らず陸上生活送れました!
あと、ちせいさんと出る試合、面白い。
(詳細は伏せます私はまだ2年あるんです^_^)
ちせいさん、多分分かりずらいんですけど、私ちせいさんのこと大好きです!
私なりに、10年間頑張ってきたちせいさんを想像して愛を伝えてみました。
本当にお疲れ様です。
この先も、ひねちるの増産と、素敵な笑顔を。
(関口より寄せられた写真)
藤永祐利(サポート(主務補佐・全体マネージャー)・法法4)
From 松下烈(短距離・理工2)
藤永さんの紹介をさせていただく2年短距離の松下です。
本来ならば、藤永さんへの感謝を長々と書き連ねたいところですが、あくまで「後輩から見た先輩」というテーマを意識して書くように言われているので、僕から見た藤永さんを語りたいと思います。
まず前提としてなぜ僕がこの文章を任されたのか、それは合宿所にて藤永さんと同じ部屋に住んでいるからです。合宿所一号室は藤永さん、三輪さん、僕の3人で暮らしています。(この生活も残りわずかだと思うと胸が締め付けられる思いです。)
僕と藤永さんの出会いは2023年3月10日(水)でした。僕は大学入学直前で練習に参加させてもらっていたのですが、走り終わった後に近づいてくる人が…
???「君が松下君?」
私「はい。そうです!」
???「これからよろしく!藤永です!」(両者,握手)
私「よろしくお願いします!」
こんな感じで初対面しました。第一印象は「にこやかでものすごくきっちりした頼れる先輩」でした。たしか加速走の動画(正面)をくれましたね。聞くところによると山縣さんの副マネージャーも務めている様子。こんな人と同じ部屋で暮らすなら大学生活も安心だなと思うことができました。
そんなことを思っていたのも束の間、僕はある話を聞きます。
「ふじゆうは留年しました」(誰から最初に聞いたか忘れました。「ふじりゅう」なんてあだ名もそういえばありましたね)
なんで藤永さんのようなしっかりしていそうな人がこんなことになってしまったのか...とても疑問だったのですが、春学期がスタートしてなんとなく理由がわかった気がしました。
「この人の生活リズムどうなってんだ!?!?」
昼夜逆転...とかでは言い表せないようなすごく不思議な生活をしていました。僕が4限終わって部屋に戻るとまだ寝ていたり、かと思えば試合帯同の日にめちゃくちゃ早起きしていたりと真面目に健康状態が不安になるレベルのムーブをかましていました。まさしく「混沌」、これぞ「カオス」。それでも部活の時はそんなことを微塵も感じさせないような活躍をしていたので「オンとオフの切り替えがものすごいな」と感じていました。
時は流れ、去年の秋学期。ここら辺から部屋の中で会話する回数が徐々に増えていったような気がします。(三輪さんとも)とはいっても我々の会話は7割が理解に苦しむ内容で、2割が奇声、その他1割がまともな会話という感じでした。それでも僕は楽しかったし、もともと先輩とのコミュニケーションを苦手としていた僕に対する藤永さんのやさしさなのだと感じました。
↑一時期はジョージにはまっており、「ハイT」と「厳しいって」しかしゃべることができなくなった悲しき過去をもつ
今年の夏休みはだいぶ藤永さんとともに過ごした時間が長いように思います。まず二人で3DSを買ってイナズマイレブンしたり、バッティングセンター行ったり、リゼロを全話一緒に見たりといろいろ楽しいことをしました。成績発表の時も三輪さんと3人で結果発表し合いましたね。テスト10個、レポート2つという過酷な状況の中での24単位取得はしびれましたね。ちょっとした愚痴を聞いてくれたり、競技に関する相談に乗ってくれたりしたこともとても感謝しています。
そろそろ僕が思う藤永さんのすごいところについて話したいと思います。藤永さんのすごいところは「笑顔が素敵なところ」かなと思います。もちろんまじめにやる場面ではきりっとされていますが、誰かと会話するときはいつもニコニコしている印象です。その笑顔は周りの人を惹きつける力があります!実際に僕はいつもにこやかに話しかけてくれる藤永さんだったからここまで合宿所1号室での生活を楽しめました。
↑合宿所1号室の扉に貼ってある藤永さんの写真。いい笑顔ですね
この一年半ありがとうございました。ほんとに楽しかったです。藤永さんと三輪さんと3人で過ごす一号室の空気感、何気ない日常が本当に大好きでした。今ではこの生活に実家と同じくらいの安心感を抱いています。誠に勝手ながら一号室のお二人のことは第2の家族のように思っています。もうこの生活も数日で終わり,こんな風に3人で暮らすことはないのだと思うと本当にさびしいし、かなしいです。一緒にい過ぎて写真もろくに撮っていないことに最近ようやく気付いて後悔しています。でもこのかけがえのない日々を忘れることは絶対にありません。いまほんとうに泣きながら書いているのでまとまりのない文章になってしまいましたが、藤永さんと三輪さんに出会うことができて、そして同じ部屋で過ごすことができて本当に良かったです。最高の先輩です。
↑去年のエンドレスリレー後にクリスマスケーキ買いに行きましたね。状況は意味不明だけどお気に入りの一枚です
「述懐」(藤永祐利 サポート・マネージャー/主務補佐)|慶應義塾体育会競走部
穂苅大和(投擲ブロック長・理工4)
From 山田直弥(108代投擲ブロック長・商3)
穂苅さんへのメッセージを担当させていただく、3年の山田直弥です。
穂苅さんの魅力をうまく伝えることができればと思います。
やはり、穂苅さんには「とても優秀な人」という印象があります。
文系学部とは比にならない程、忙しく、授業も大変な理工学部の中でも優秀層であるらしく、GPAがすごい高いらしいです。
自分が、2年生のときにギリギリ単位を取得できたボームスティーブンという先生の英語の授業(商学部では実感半分くらいの人が単位を落とす)があるのですが、以前穂苅さんも取っていたらしく、「あの授業めちゃくちゃ楽だったよね。余裕でSだったよ。」とか言われた日には、恐怖を感じました。
その優秀さというものは、部活中にも発揮されていて、言語化が上手く、課題発見能力が高いです。後輩思いなところもあり、たくさんやり投について教えていただいたのですが、わかりやすい上、とても的を得ている発言が多く、本当に助かりました。
ありがとうございます!!!
加えて、穂苅さんに対する他の印象としては、「アベレージの高さ」です。
今年になって気づいたのですが、穂苅さんは試合の3本、もしくは6本をほぼ全て高水準の記録を残しています。
自分は、あまり集中力が持たないので、試技の中でオンとオフにする所を決めたり、ピークをどこにするかを決めるしかないのですが、穂苅さんはとてつもない集中力で1本1本、全力で投げ、すべてがベストに近いものを投げます。
そして、何よりも素晴らしいのが、日が経つにつれてどんどん記録も向上していることです。みなさんお分かりだと思いますが、記録を伸ばし続けるというのは、本当に難しいのですが、穂苅さんはそれができており、とてもすごいです!!!
最後に
卒業ブログに書かれていたように、107代の幹部はとりわけ実績を残している選手が多く、プレッシャーを感じていたとは思いますが、他の方にも負けないくらい素晴らしい投擲ブロック長だったと思います。
公式戦での活躍はもちろん、癖の強い西尾や倉田といった後輩たちの面倒を見て、そして競技以外のところでも部に多大なる貢献をしており、大活躍だったと思います。
そんな素晴らしい穂苅さんの後を継ぐことができ、とても光栄です。
ありがとうございました!!!
追伸
院進するということですが、あと2年間もちろんやりますよね?
良い回答を期待しています。
「不思議なご縁」(穂苅大和 107代投擲ブロック長)|慶應義塾体育会競走部
松木裕佳子(サポート(マネージャー長)・経済4)
From 高橋諒(短距離・商1)
ありがたいことに「下級生から見た松木さん」を担当させて頂くことになりました。一年の高橋です。誰が書くか知るはずのない松木さんから「楽しみにしてる」と言われ驚きつつも、書き始めています。
僕が松木さんと初めて話したのは僕がまだ高校生だった頃、東大での練習中に『ポールどうする?』と聞かれたのが最初だったと思います。たぶん慶應のマネージャーの方なんだろうなという印象を持ったのを覚えてます。あれから8ヶ月経ち今の松木さんの印象は「競走部の母」です。おそらく、いや、間違いなく競走部の皆さんはこれを読んで頷いているでしょう。誰もを包み込んでくれるような包容力、どんな時でも状況を的確に見極める冷静さ、競走部員に常に笑顔をもたらしていた松木さんは「競走部の母」そのものです。競走部にとって欠かせない存在だった松木さんが、来週にはもう部室にいないなんて、まだ全く実感が湧きません。
僕が特に伝えたいのは、松木さんの帯同が本当に最高だったということです。種目特性上、長丁場になることが多いのですが、そんな時でも嫌な顔一つせず、自己ベストを出すと自分のことのように喜んでくれました。そんな松木さんのために自己ベストを出したい!とますます強く感じるようになりました。松木さんの引退ブログの中で、「マネージャーにしかできないことは存在しない」とありました。仕事の観点から見ると確かにそうかもしれません。しかし、マネージャー一人ひとりに個性があり、競走部に提供してくれる価値もそれぞれ異なります。松木さんの存在は、単なる「仕事」や「役割」を超えたものでした。大会の時に、松木さんがいると安心すると言う選手も多いと思います。僕自身、高校時代とは違い、競技以外の心配が減ったことで、特に種目が多い僕にとっては本当に助けとなりました。また、松木さんはマネージャーとしてだけではなく、1人の人間としても、その温かさや気配りが競走部全員にとって大きな力となりました。
最後に、短い間でしたがこんな生意気な後輩の面倒を見てくださりありがとうございました。全カレのメダルをかけることはできず悔しいですが、関カレのメダルをかけることができたのは今でも僕の誇りです。
入部してからの半年間、棒高跳びや幅跳び、やり投げのピットでたくさん話したことや、怪我のリハビリでジョギングに付き合ってくれたりしたこと、絶対に忘れません。本当に4年間お疲れ様でした。また日吉の大戸屋に連れてってください!
「答えのない問い」 (松木裕佳子 サポート・107代マネージャー長)|慶應義塾体育会競走部
最後まで読んでいただきありがとうございます。思いが詰まったメッセージばかりでした✨
明日で投稿は最後になります。ぜひ明日もご覧ください!!