106代主将・伊藤達也 関カレに懸ける想いの全て「自己ベストで表彰台に」

5月11日に始まる関東インカレで、慶應大学競走部は男子1部総得点50点以上(女子25点以上)で8位入賞をめざします。その鍵を握っているのは、主将の伊藤達也(投擲4年)です。高校時代の自己ベストは55m94でしたが、大学では68m79まで大きく伸ばしました。何が伊藤を成長させたのか。その理由と、最後の関東インカレにかける思いを聞きました。

 

――今季は六大学陸上(4月2日、国立)から好調ですね。

去年は六大学を怪我で迎えて63mだったけど、今回は67mで優勝。シーズン初戦で出力も上がりきらない寒い中の試合でもしっかり勝ち切れた。価値のある結果だったと思う。ただ、練習の調子からも、もう少しコンディションが整っていればベストが出たと思うからそこは悔しい。

 

――今でこそ68m79の自己記録を持っていますが、陸上を始めたのは帝京高校時代からだそうですね。

部活はいくつか選択肢があったけど、陸上部の顧問の方がすごく志が高くて。その人のもとで陸上をやりたいと思って始めた。高校で印象に残っているのは、2年生の都新人かな。ファールした投擲が60m近く飛んだんだよね。当時ベストが55mだったけど、60mって全国大会に出られるレベル。その瞬間に自分は全国に行ける可能性があると初めて実感したかな。

 

――高校時代は2年次に南関東大会出場を果たしながらも、最後の1年はけがに苦しんだと聞きました。大学でも競技を続けようと思ったのはなぜですか。

本音を話すと、高校でやり切った感はすごくあって。高校では練習で出せていた60m超えの記録を試合では出せずに悔しい思いもしたけど、一区切りはついたから正直大学で陸上をやるとかは考えてなかった。受験勉強をして、結果的に第一志望の一橋大学に落ちて慶應に入ったんだけど、たまたま高校の顧問の先生から「陸上をやるなら慶應だ」とずっと言われていた。慶應には当時、畦地将史(投擲・2022卒)さんと鐘ヶ谷周(投擲・2022卒)さんっていうやり投げで2人強い先輩がいた。2人は関カレで表彰台にも立った選手で、それで自分の中で陸上に縁を感じた。高校で悔しい思いもしたし、もう一回チャレンジしようと思って続けるのを決めたという感じかな。

 

――競走部に入って高校との違いは何かありましたか。

最初に感じたのは環境の良さ。高校時代はコンクリートで練習するような環境だったから、大学の設備には驚いた。あとは自分よりレベルの高い選手が同期にも先輩にも沢山いてすごく刺激をもらった。大きく変わったのは自分でメニューを考えないといけないこと。陸上は個人種目で、一人一人の練習でパフォーマンスが変わるというところがより濃くなっているから、高校よりも遥かに考えて練習を組み立てるようになったかな。

 

――つらかったことはありますか。

1年生でコロナにぶち当たったのは大きく出遅れたと思う。あとは、大学に入って最初に試合に出たのが10月くらいだったんだよね。しかも記録が49mで。高校のベストも越えていない。なんならやり投げをはじめて3ヶ月くらいの記録だった。その時はマジでどん底だった。

 

――乗り越えたきっかけはありますか。

10月に大学初戦の国士舘記録会で悔しい思いをしたのはやっぱり大きくて。49mっていう記録はほんとに低い記録だったから。そこで一回やり直さないといけないと感じた。あとはやっぱり影響を受けたのは畦地さんと鐘ヶ江さん。この2人は2個上の先輩で、選手としても強いし意識も高くもっている人たち。自分に大きな影響を与えてくれたと思う。具体的にいうと畦地さんはやり投げが本当に大好きで、やり投げのことをYoutubeとかで探究する情熱が凄かった。その姿勢から自分はやり投げについて知ることを疎かにしていたと自覚できた。鐘ヶ江さんは日々の練習に人一倍の課題と目的意識を持っていて、競技力を伸ばすにはそれだけ突き詰めてやらなきゃなんだと学ばせてもらった。

 

―2年目で初出場した関東インカレは自己ベストの63m63で13位という結果を出しました。目を見張るほどの成長にはどんな背景があったのですか。

自己ベストを大幅更新したのは関カレ標準を切った国士舘の大会だった。あの時は正直そんな記録が出るとは思ってなかった。でも思い切って投げたら、まさかの61m。「あれ、関カレ標準何メートルだっけ?」「え、標準切れてる!」みたいな感じだったから、当時は本当にびっくりした。

この国士舘は「あ、自分は一つ段階を上がったんだな。レベルが上がったんだな」っていうのを実感した大会になって。だから関カレでも入賞こそ出来なくとも爪痕くらいは残してやろうと。熱を持ってやれたっていうのはあるかな。

 

――自己ベスト更新のために具体的に取り組んだことはありますか。

コロナ禍での部活停止期間に、懸垂器を買って家で懸垂をひたすらやってたんだよね。背筋が全然足りないと思っていたからそこを強化したくて。そしたら部活再開したとき、みんなから「達也でかくなったな」って言われて。身体が大きくなるのはやり投げ選手にとって一つの成長要素と思うんだけど、そこから練習での投擲もアベレージが上がっていったから、それは一つきっかけかな。

 

――関カレの後、どのような目標を持って競技に取り組みましたか。

記録が伸びて全カレが見えて来たから、やっぱりそこを目標にやっていた。けど、振り返ると変わらないなと思っている部分もあって。とにかく今ある課題に向き合って、一つ一つクリアしていく過程の積み重ねが目標に到達する最短スパンだと思っていた。とにかく高い目標は掲げつつも地に足つけた努力をして、今ある課題を地道にクリアしていくことはずっと大切にしていた部分かな。

 

――3年時の関東インカレは前年とどのような違いがありましたか。

重みはやっぱり違った。自分の得点がチームの1部残留にかかっている。重圧って言ったら悪いけど、絶対にここで活躍して点を取らないといけない責任感は前年とは比べ物にならないくらいあった。それと、大学2年のシーズンオフで腰を怪我していて。しかもそれが良くなったのが関カレの1週間くらい前。怪我と重圧とのダブルパンチで、結構メンタル的にはしんどい時期だったかな。

 

――結果は66m73で6位入賞でしたね。

今まで高校、大学と大舞台で記録を残したことがなくて、その中で一つ大舞台で記録を出せたっていうのは大きな自信に繋がったかな。メンタル的にしんどかったけど、仲間の存在には本当に助けられた。特にトレーナーの坂本研太朗さん(サポート・2023卒)。大怪我ギリギリで綱渡りの状態だったけど、坂本さんのケアがあったから出場できて結果も残せたと思う。あとは池田欣弘さん(投擲・2023卒)をはじめとする投擲ブロックのみんながいつも声をかけてくれて、それも自分にとって大きな力になった。

 

――3年生で全カレに初出場することになります。

実は関カレとはまた違った緊張感があってね。というのは、関カレはやっぱりチーム戦っていう色が強い。ただ、慶應にとって全カレは個人戦の色が強い大会だと感じていて。チームとしてのプレッシャーはあんまりなかった。逆に自分は高校で全国に出た経験が無かった中で、全カレは全国で名の知れた本当の猛者だけが集まるような大会だった。だから遂にこの選手たちに交ざって戦える位置に来たんだって高揚感と、こいつらに勝たないといけないという重圧があった。

 

――全カレは66m38で14位でした。

これは実は結構失敗で。まず目標は自己ベストを更新することだったから、その意味では66mはかなり低かった。1投目でミスしちゃったんだよね。助走がいつも以上に動けてしまってファールしそうになって。助走を合わせるっていう考えることが一つ増えちゃった。やり投げは3投目までに作らなきゃいけないから、自分の投げが3投以内に出来なかったのは大きな後悔かな。

 

――いよいよ最後の関東インカレが直前に迫っています。懸ける意気込みをお願いします。

チームとして50点を目標に掲げている以上、自分の記録はとても大きなウエイトを占めているし、だからこそ高い順位を目指していきたい。70m越えが必須

の例年以上にレベルの高い争いになりそうだけど、今年は練習ベストで72mが出ていて、表彰台も全然ありえない目標じゃないと考えていている。72m以上の自己ベストを出して、表彰台に立ちたいと思っているよ。

聞き手・川上航希(長距離2年)