4年間のコトバ  福島健介(経4)

こんばんは
4年マネの石井です。

1つ前の記事に予選会で引退とありましたが、同期のみつお君が日本選手権リレーを走るので私は今週いっぱいはずうずうしくも部活にいさせて頂きます
みく、私が予選会でそういうモードだったから勘違いさせちゃってたらごめんよ。

さてさて、予選会が終わってしまいました。
私のキャパオーバーにより、長距離4年の残り二人の記事が予選会後となってしまいました。。。。
申し訳ないです
でも、ちょっときつかったです。。。
残り同期の「4年間のコトバ」も含め、必ずあげて引退します!!

今回は、今年は駅伝主務としても大奮闘してくれた私の相棒です

福島健介(経4)  長距離パート

kennsuke

いつから陸上をやってるんですか??
中学はサッカー部で、部活としては高校から。
でも小学校のときに市の陸上大会に出て、そこで1000mで入賞したのかな。
で、入賞者全員に市の陸上クラブから勧誘がきて、小3からサッカーもやってたけどちょっと顔出してみようかなって。
陸上の基礎はそのクラブで教えてもらった感じかな。
中学校でも駅伝は走ってたけど、試合前一ヶ月くらいしか練習してないし。

中学まで7年も続けてたのに、何で陸上を高校からやろうと思ったの??
サッカーを嫌いになったからかな笑
もう高校はいる時点で陸上をやろうと思ってたし。

そこでわれらが先輩道代さん に出会ったのね笑
そう笑
高校の部活には短距離出身だけどコーチはいて、自分が立てたメニューをその人に見てもらうって感じ。
自分が高校の部活に入ったときは、長・中距離にぜんぜん人がいなかった。
自分が高1の時に少しいたけど、すぐ引退しちゃったし。
だから人数が足りなくて高3まで駅伝には出られなかった。
高校時代は800m、1’59くらい。関東くらいいけるかなって思ってたけど、怪我でいけなくて。。
1500は4’16とかでぜんぜん走れなかった。
1000くらいまでは走れるんだけど、それ以降はぜんぜんだめで。

よく駅伝走れたね。てかばりばりの中距離だったんだね。
だからやばかった!
でも高3の時は他の人が自分より全然遅かったから、自分が10km区間を走るしか無くて

SFC高出身だから、大学でも競走部で続けるつもりだったの??
ぜんぜん。
塾高とかは同じグランドで練習してるから、大学の練習の雰囲気とか内容がわかるだろうけどSFC高からしたらあんまり絡むこともないし。横田さんがいるってことで雲の上の存在だった。
SFCの帰りのバスを待ってるときに横田さんが並んでて、「やばい!サインもらいに行く!?どうする!?」って騒いでたくらいだったし笑

今年はマネ&選手を含めて6人くらいSFC高校出身者が入部したけど、その時はほとんどいなかったもんね。
うん。ちょこちょこはいたみたいだけど、自分が入学したときは選手ではいなかったし。
でも部活に入る入らないとは別として、走るの好きだったし3月のぎりぎりまで普通に走ってた。
後輩の練習の手伝いとかも行ってて。
で、競走部の先輩に話聞いたり、仮入部に行ったときに経済学部だから本橋と話して一緒に陸同の新勧行ったり、陸同にいる先輩に話を聞いたりするうちに競走部かなって。
あとは、やっぱり陸上に未練があったのが大きいんだと思う。
800で結構記録が伸びてる途中で、ベスト出したのも怪我しながら出た高3の地区予選だったし。
でも県はだめで、その怪我も長引いてそこから2カ月くらい走れなかったし。

福島って大学でそういう怪我してないよね。
そう。でも高校の時は足きつくて、シンスプにもめっちゃなって、疲労骨折一歩手前までいくこともあったし。
で、高3の怪我が治った頃にはトラックシーズンが終わって駅伝シーズン入ちゃってもう試合が無かった。
だからもう一回走りたいなって思いはあったかな。
特に1500。800は県で終わったけど1分台も出せたしなって感じだったけど、1500のタイムは、、、、結局地区までしか行けなかったし。
自分でもなんで1500が走れないのか分からなかったし、顧問とかにも4分1ケタくらいで走れるだろって言われて。
だから競走部に入ったのは1500の記録を伸ばした方のが一番の理由かな。

なるほどー でも、じゃあ何で長距離パートに??
最初は中距離にいて平野とかと一緒に練習したこともあったんだけど、練習スタイル的にあんまり合わなくて。
結構個人で自分で考えてって感じだったから。

あの頃って結構中距離はまとまって練習してたイメージが。でも、あの時中距離の4年生少なかったし、横田さんも自分の試合で忙しかったのかもね。
うーん。まあ、自分が仮入で来てた時は結構そんな感じで。
それって高校とあんまり変わらないなと思って。
高校時代はほぼ1人でずっと練習してきたから、皆で練習するっていうのに憧れがあって。
そう思った時に、長距離の人って皆で練習するし、メニューもある程度おりてくるし。
もっと皆の力を借りれれば、1500と5000とかのびたんじゃないかって思いがあったから、長い距離からそういう種目にアプローチしようと思った。
800ずっとやってて1500がのびなかったんだから、こっちからならのびるんじゃないかって。
振り返ると、1500をのばしたいって思いは初志貫徹できたかな。
元が遅いのもあるけど、最終的に4’16から3’58まで行けたし。

今年は神奈川チャンピオンだもんね!笑

長距離パートに入って最初の頃は
最初は全然ついてけなかった。
1000とかは走れるんだけどペーランとかできない、皆すごいみたいな笑
一年生メニューって普通より少なめだけど、そこからさらに減らしてたし。
夏合宿も紋別で皆30㎞走やってるけど一人だけ24kmで、菅平でも周回減らしてたし。

でも結局予選会走ったんだもんね。
そう。あの頃怪我人多すぎてエントリー人数もギリギリで。
その中に、浅井と櫛田も入ってたくらいだし笑
一年生は全員走るからって流れだった。
だから知らぬ間に予選会の存在が大きくなっていったというか、予選会に向けて自分も頑張らなきゃいけないんだ!みたいな。
1500を頑張る気でいたけど、自分は20kmもちゃんと走れるようにならなきゃいけないんだって。
一応、一年目でも1500はPBだせて、秋には4分一ケタも出てたし。
でも、4年間通じてベストは毎年数秒ずつでも更新してきたかな。
あ、今年は5000と10000まだだっ。これからします!

2年は体が慣れてきた??
一年の冬くらいからもう練習には着いていけるようになってて、人がいなかったせいもあって坂井と一緒にBチームを一年生の時からひっぱってきたし。

坂井!!!
そう。ほぼ、自分と原田さん、自分と田島さんって感じで。
2年生ではなんかしらないけど、6大に1500で坂庭と出た。
原田さん、櫛田、2号も怪我してて補欠の2番手だったのにも関わらず自分が出ることに。

福島そういうの多いよね。そういう時にちゃんとチャンスを掴めるのは大事だと思う。
自分は怪我をしないから。
納会の時とかに言おうと思ってたけど、2年・3年の6大もそうだし1500の公式戦は本来走る人が走れなくて自分が出るってパターンが多くって。
だからチームの4番手・5番手・6番手の人は、1番手・2番手の人以上に怪我をしちゃいけないと思うんだよね。
そこで5番手位の人が怪我してたらまたさらに次の人が走らなきゃいけなくて、むしろその次はエントリーさえされてないから結局一人で走ることになったり。
そういう人がもったいなと思う。自分が補欠だけど六大に出れて、そういうのがもっと1500頑張りたいなとかモチベーションの維持にもなってたし。
それが今年の1500の流れにもつながってると思う。

ジョグで強くなるじゃないけど、長距離になって中距離とは練習方法が違うのに慣れる中で、今年入ってきた長距離の初心者の子たちに何かアドバイスを
もともと長い距離をジョグするのは苦には感じてなかったんだけど、、、
でも一年生の夏合宿にOBの人に「今、長い距離が苦手なんだとしたら、それがジョグだとしてもダウンの時でもつっくりでもいいから、少しでも人より長く走ることから始めれば」って言われたのはときどき思い出してる。
「一分でも、一秒でも長く」って。
だから今でも人より、ダウンとかジョグが長いのかなと思うし。
それは一年生の時に言われた一番印象深い言葉かな。
やっぱり、一年生だとポイント練習で距離減らしてるからどうしても走行距離が減っちゃう。
ダウンのジョグとかでもいいから、そういう所で時間や距離を稼いでいけば足も慣れて行くんじゃんと思うよ。

福島が大学で怪我が減った&少ない理由って??
うーん。
人よりダウンが長いから?かな。
ダウンのジョグ、ストレッチ、アイシングが長いのとかかな?
合宿とかはアイシングはめっちゃちゃんとやってると思う。

食事面とかは??
一人暮らしだから、人より気を使ってるっていうのもあるかもしれないけど、、、、
もともと食にはこだわりがあるし。皆さんご存知のように!笑
時々は自分にご褒美をあげるときもあるし、、、、
でも野菜とかは自分が作った食事だけじゃ絶対足りないって意識があるから、意識しとるようにしてるかな。
そういうのなのかな。わかないけど。。。
あと、何かあるかな??

うーん。他の人に比べると無理をしてない気がする。。。
この標準のためにここで絶対切るって無理をあんまりしてないから、そういう反動が無い分大きな試合の時にちゃんと走れてるんじゃないかな。
まあ、調子が悪くなる時はあるけど、、、、

そう!怪我しない分、調子が悪くなる時があるから皆とあんまり変わらない気もするよね。
要は疲労がちゃんと取れてなくて、それが体の一点に来るんじゃなくて本当に体が動かないって感じで来る。

去年の予選会前に調子が悪かった時は、にんにんく注射をしたり酸素カプセルに入ったり、、、って色んな試みをしてたよね笑

3年目は
自分を信じてたよね。
5000のベストをしっかり出したのは3年の6月、その前の週に1500でベストも出て。
やっぱ3年にもなって走りも安定してきたし、自信もついてきて。
ポイント練習も調子が悪い時でもある程度走れるようになったし。夏合宿もBチームでは誰にも負けなかったし。
でも、合宿後にAチームに入ってやってみろってなったら足痛くなってぶっつぶれちゃって、アーどうしよう見たいな。
予選会直前の10000mもひとまずおとなしく走るしかなかったし。
予選会はタイム的には一番良かったけど、チーム内では11番だったし。。。
最後、西郷さんに抜かれたし。

就活をはさみーの、4年生のシーズンは??
就活は地獄でした!!ひたすら地獄でした!
しかも2月くらいに怪我もして。
この時期は4年間で唯一メンタルがやばかった時期だね。
走ってないのに部活にいる、みたいな。
走ってない2,3月の時期が明けたら、すいすい走れるようになった。
1500も行ける気がしてきて、初戦の日体で4’00、次で3’59が出て、同志社があって次で3’58を出して。
県戦はベストじゃなったけど神奈川で一位になることができたし。
でも1500は上手くいったけど、5000はあんまりだったね。

4年の夏合宿。今年のメニューはどうだった??
かなり体に来たね。
自分は怪我じゃなくて体に来るから、全カレ期間中に発熱まで出たし。
北海道の後半から体やばいなとは思ってたけど何とかだましだましやってきて。
4次合宿の10km+10kmあたりで、これ足大丈夫かなとは思ってて、でもその辺で体調崩す方に来たから。
そこでちょっと走れなくなったのが良かったんだと思う。
もしそのまま走ってたら、今本当に足やばかったと思うし。
でも、金森さんに今年の合宿は全部Aチーム行け言われた時は、前年の失敗もあるし本当についてけるか心配で。
ここまで予選会に向けて、今年は慎重に慎重に来てたから。
Aチームに全部つくのはぶっ込みすぎなんじゃないかと思って。

でも、結果的にだけど一次合宿の途中で思ったのは「もう、やるしかない」っていうのだし。
やってみたら意外と行けたし。
インターバル系とか、できない部分も多かったけど。
でもペーランとかはBチームだった時じゃできないペースで押すことができたし。
これが予選会走った時にどう出るかって感じかな。

合宿は四回あって良かった??
4回はきつかったね。
でも良かったと思う。練習が濃かった。
紋別合宿で終わりって感じだと、日吉帰るとたるむし9月は全カレで練習できないし。
そこで紋別が終わってもまだ、河口湖があるって思えたのは良かったと思う。
9月上旬まで合宿があると、帰ってきてもあと一カ月後に予選会って思って焦るし。
それで河口湖から帰ってきたらすぐ全カレ・早慶、じゃあ次は予選会!ってポンポンポンって気持ちを持ってくことができたし。
河口湖は良かったよね??

うん。皆、良い練習できてたし。まあ、めっっっちゃ歩いたけど

駅伝主務として
なった当初にやろうと思ってたことはほとんどできなくて。。。
例えば勧誘とか、もっとAO担当の人とかと連携とって積極的に動きたかったんだけど。。。
本当はまだあと何個かやりたいことはあって、それは本当に悔しいから、、、、
だから玉井にはやりたいと思ったことはすぐにやった方が良いよって言ってる。
あと、合宿と予選会関係は、、、、、思った以上に大変だったね。
もうちょっと楽にできると思ってたんだけど。
もうちょっと自分は仕事の出来る男だと思ってた笑
それが予想以上にできなくて、はあー、はあー、はあー、みたいな。
まあ、でも一応今日まで皆無事に来れてるから。それは良かったなと思ってます。

うん。当日はマネージャーに任せて下さい。
じゃあ、最後に何かメッセージを!

自分がいままで所属してきた団体の中で、長距離は同期・後輩・先輩、長距離以外だとマネージャーは一番一緒にいた時間が長かったから思い入れがあるというか、、、、
合宿所員じゃないから、そういう人にはかなわないけど。
特に、自分は人と深く関わったりするのが得意じゃないから笑
そういった意味では、長距離とマネージャーの人は卒業した後でも本当に連絡を取りたい人かなっていう笑
だから、もし皆が良いなら笑、この人たちとは社会人になってもご飯とか行きたいなと思います笑
皆さんありがとうございました。4年間!

福島、ありがとう
昨年の反省から、福島と共にかなり綿密な行動計画を作ったので、今年の予選会の運営はかなりスムーズにすることができました
疲れている練習後でも遅くまで駅伝主務の仕事をしてくれたり、部活外の時間にも考えたりと細い所まで気をまわしてくれたので、本人は仕事ができないと言っていましたが本当に一緒に仕事がしやすかったです!
選手兼駅伝主務をやることになった時点である程度の負担は覚悟してたと言っていましたが、やはりもう少し選手に集中させてあげたかったというのが本音でした。
競技面では、補欠でエントリーしたとしても取れるチャンスは取る&正選手以上に怪我をしないようにするという話は、短距離も含めた今年のチーム状況を振り返ると大事なアドバイスだと思いました。
また、福島は毎年少しずつでも着実にPBを更新してきました。
まだ今年は出してない種目もあるそうなので、12月の日体に出るつもりだそうです
ゴジラも5000で出るらしいので、この日体は楽しみですね
駅伝主務&四年間お疲れ様!そして色々ありがとう。
来年度の駅伝主務、玉井はしっかり頑張るんだぞ

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