4年間のコトバ  鐵本智大(理工4)

鐵本智大(理工4)   長距離パート

てつもと

いつから陸上をやってるんですか??
中1から陸上部に。
小学校の時から陸上をやりたいと思ってた。
小6の体育で長距離のタイムトライアルが毎回あって、それが結構速かったのと走るたびに速くなってくのが楽しくって。
それで長距離が自分には向いてるんじゃないかなって思うようになったのかな。

中学時代は
中学の頃は東海大で中距離をやっていた人が顧問の先生で、しっかりメニュー出してくれてそれに合わせて皆で練習してた。
毎朝アップなしで3000全力で走って、午後錬も強度の高い練習するみたいな中学生らしく毎日全力で練習する部活だったよ。
どちらかというとガツガツやってて、基礎体力の強化とかもうちょっと体に余裕を持ってやれてたら高校でもっと伸びたなと思うけど。
高校では、コーチが陸上をやってない人だったから皆でメニューを考えてやってた。

高校では途中で陸上部をやめたんだよね笑
高校時代の競技生活は??

うん笑
高2の秋、新人戦の3日前に。

高校では、高2の6月に出した5000mの15’49がベスト。
最近気付いたんだけど、その時の試合は僕が2位で、一秒差で1位の子が今も専修大で陸上をやってるらしく予選会で一緒に走るんだ笑
高校で目指してたのは千葉県の5000mで勝つこと。
だからそれに向けてかなり計画的にやってた笑
高1ではスピードつけるために1500とかに出て、高2からちょいちょい5000出だして。

でも顧問の先生が変わって、そのやり方についていけないなと思ったから辞めちゃった。
1500の試合の為の調整メニューで、レースペースで2000m走れって言われて。
試合で1500走る人に、2000をレースぺース走らせるってどういうことですかって笑
自分も言い方が良くなかったんだけどね。それでちょっと口論になって笑
まあそれで部を去ることになったんだな笑

若いねー笑
若かった笑
でも今もだけど、納得してないことはやりたくないんだよね。
高校で部活を辞めた時点で、大学でも陸上をやりたいなと思って。
部活を辞めたのはこの練習を続けるのは自分の体にとって良くないと思ったから。
あと、精神面でも陸上を嫌になるんじゃないかと思ったし。

慶大競走部との出会い
うちの高校のOBに競走部長距離の岡本義哲さんがいて、高校の練習に来て競走部や合宿所の話をしてくれていて。
それで大学も慶應を受験しようと思ったのかな。
高校で部活を辞めた時点で強豪校の大学で陸上を続けるのは無理だと思ったし。
慶應ならチャンスがあるのかなと思った。

実際入部してみて
すごい良かったと思う。
大学の体育会でやるってことでかなり理不尽なことや、練習に関してもめちゃくちゃなものを覚悟してたから。
練習に自由度があるってことで、まずは自分のレベルにあったものからだんだんとステップアップしていくことができたし。
あと先輩たちもすごい良い人ばっかりで。
色々教えてもらえたり、色々親切にしてもらってきたし。

他の大学ってそんなむちゃくちゃなことやってるの?
うーん笑
全部が全部ってわけじゃないけど。。。。
まあ、良く聞くのは箱根目指してるんだとしたら30人に走れるだけ走らせて、10人残れば良い!みたいな。
そういう所ばっかりじゃないけど、そういうのも考えてはいた。
というかそれくらい構えてた笑

入部当初の目標は
高校の時、部活辞めた後も1人で走ってて、自分で陸協登録して1人で練習して。
でも実際1人で練習して見ると、特に冬とか、全然走れない時に1人で練習するのがきつくて。
一応やると決めたからにはある程度続けてたけど、そこで気持ち的には沈んでて。
だから入部当初は目標って目標は無くなってたな。4年間陸上を続けることになってた。
競走部に入って人と一緒に練習できることのありがたみがわかった。
すごく良い環境で練習できて、周りの人に助けられてるなっていうのも感じて。
で、1年の予選会を走って自分のチームを好きになってたし、そこで20kmなら勝負できるなって思って。
そこで学連選抜を目指したいなって気持ちが芽生えたかな。

1年生の時からAチームで夏も練習を積んで予選会では66分ちょいで走って、2年の同志社戦では5000mでベストを出して。
と、良い流れでやってきたのにそれから4年春まで崩れてきたよね。
その原因とかって??

フォームとか、とにかく走りができてなかった。
その時は質の高い練習をやってれば記録がどんどん伸びてくって考えてたんだけど、その質に体がついてこれなくなったのがその同志社戦の後くらいだと思う。
質の高い練習を追い求めるのに体が全然ついてこれなくて、本当に全然走れなくなっちゃって。
自分で走り方をちょいちょいいじってたんだけど、その過程で体の使い方が体にとって無理なものになっていて。
その後も、大2の夏合宿のしょっぱなで怪我をして、治ってからはすぐ予選会があるから無理やり調子上げて無理やり質の高い練習をしてってなって、動きを修正する時間を持つことができなかった。

今思うのは、体に無理のない走りをするのがすごい大事。
それをするための期間を取ったから、今はある程度体にとって自然な動きができるようになった。
筋肉が足りない部分は補強して、そういう基礎的な部分のプロセスを踏んでからしっかり練習していくことが大事。
そういうことに気付いたり、しっかり修正するっていうのが大事だと思う。


それは自分でできること??

相当難しいじゃないかな。実質的に無理な部分もあると思う。
動き自体は自分でビデオを見て、自分が理想とするものがあれば目指すことができる。
でも例えば、筋肉が凝り固まっててそこまでの稼働域を出せないとか、体の歪みがあることで良い動きができなかったりとか。そういう動き自体ができない状態にある時は難しい。

その修正って自分では難しいし、自分の体のおかしいところって自分ではもう当たり前になってるから自分で気付くのは難しい。
そういうところが、1人では限界がある部分だと思う。
身体を作りなおすにしても、人の体ってこういう風になってるんだよって診てもらって、体を治してからじゃないと出来ない動きもあるし。

そういう時、うちの環境の場合はどうすれば良いかな?
一番はトレーナーさん。
僕としてはケアっていうのは大事だけど、どっちかと言えば怪我をしないための体作り、リハビリとかなんでそこを怪我したのかっていうのを一緒に分析してもらって次に怪我をしないためにはどうすればよいかを一緒に考えてもらえたらすごい良いんじゃないかと思う。
ただそれはかなり専門的な知識を求めちゃうことにもなるし、経験も必要だし、かなり難しいとは思うけど。

夏はしっかり走れてて最近調子もよさそうだけど、その2年同志社以降の不調は断ち切ることはできた?
自分で思ってた通りに今年の夏はしっかり走ることができた。
ハーフでは勝負できると思ってたから、関カレに出れなかったのは個人的に本当にショックだったんだけど。。。。。
ただ、そっから今のまま練習しててもダメだってことで、かなり練習量や質も落として一から体を作り直す期間に充てた。

その辺、皆と走らなかった時もあったよね。
そう。チームには迷惑というか、力になれなくて申し訳なかったと思うし、まあ正直あんまり良く思ってない人もいたかもしれなかったけど。。。。
だけどそこで動きの面でしっかりとコツコツ積み上げることができた。
7月には菅平のクロカンを走る時に使いたい筋肉を使えるように週2くらいで軽いウエイトを使った補強運動を取り入れてみたり。
本当に、かなり慎重かつ入念に準備はしてきて、夏は本当にしっかり練習するぞってい姿勢で取り組んだから。
それが良かったと思う。

関カレは日体でダメで、ラストチャンスで門出と二人で出た大東でもダメだったんだよね。
両レースとも途中棄権だったし、本当にその辺は体に無理のある走りを修正できてなくて。
走ってるとハムに力が入んなくなる状態で。
日体は次の日に六大対校のレースがあったから、レースの途中で標準切るのが無理だとわかったら次の日の影響も考えて辞めることにした。
大東は、その前の日体でまだまだ体がダメな状態だってわかってたし。
少なくとも齋藤以外にもう一人慶應の長距離から関カレに選手を出したくて、そのために自分ができることをしようっていうのを1番に考えて出場した。
個人的にはかなり納得のいかないレースだったけどね。

途中から門出をアシストするためにすごいレースしてたよね。
一周遅らせて門出を待って、門出を引っ張るためにまた走るみたいな。
その繰り返しで。

それでいいのかっていう部分もあったけど、それしかできなかった。
もうそういうレースをしたくないってためにも、5月・6月は一から体作りに取り組んで、それがすごくうまくいって調子も上向いて。

やっぱり3年の時は、そういう自分の練習の切り替えが見えなかった?
4年の関カレ標準切りの期間が終わるまで、関カレと予選会っていう大きな目標に向かって一直線って感じて落ち着く余裕が無かった。
大2の冬に練習の一環で出た神奈川ハーフで良い走りができて、

神奈川ハーフでも平塚さんに次いで2位だったし、20km通過でハーフ標準切ってもんね。

うん。地震で無くなったけど、その流れで学生ハーフで良い走りをしようと思ってて。
でも、もうその辺から悪い流れが出てきてたのかな。
すぐに関カレ標準切り、予選会って続いて、常に頑張ってる感じで休む余裕がほとんどなかった。
足が走れる状態じゃもうなくなってたんだよね。
ちょっと休んだくらいじゃもうダメなくらいで、でもすぐに試合が近づいてきてそれに合わせなきゃで。
どっかがいけないんだなとは思ってたけど、その取り組みに失敗してた笑


今年の夏は金森さんがいらっしゃったけど

僕に関しては、かなり自分のやりたいようにやらしてもらってる。
でも金森さんのメニューって元コーチの櫻井さんの練習がベースになってて、慶應の練習は櫻井さんのメニューをもとに作ってきたから違和感なくやることができたし。
あと、夏合宿中は金森さんメニューじゃなかったらプラスで、ベースは皆と同じだけど距離走の後半はフリーにさせてもらって皆とちょっと違うことをやろうかなと思ってて。
でも金森さんがそういうメニューを出してくれたから、むしろ都合がよかった笑
7月までが合宿を走るための下地作りで、合宿では量も質も高いメニューをやろうと思ってたからね。

今後の慶應長距離にとって、コーチの是非は??
金森さんはいてくれた方がいいのかなと思ってる。
やっぱり外から的確にアドバイスや意見をもらえるって言うのはありがたいことで、自分たちだけでやってたら気付けない部分が多すぎて、最近は足りなくなってきた部分が増えてきてたし。

??
うーん。はっきり言っちゃうと緊張感の面かな。僕が一年の時から四年までの間でもっとちゃんとしなきゃいけない部分もたるんだりしてきたから。
やっぱり締めるところを締めてくれる人は大事だと思う。
それまではそういう気持ちの切り替え、オンオフの切り替えがすごい下手になってたから、そういう所を見てくれる人の存在や、特に後輩は割と皆似た考えを持って練習してるから一辺倒の考えになるのは良くないと思うし。
そこで新しい刺激を入れてくれる人がいればさらに一段階上がれる思う。
それに、やっぱり金森さんを支えに思ってる人が沢山いるのは事実だし、やっぱりいて下さるのは良いことなんじゃないかな。

大学院に進むけど、陸上はいつまで続けますか??
うーん。この予選会からどこまでいけるか次第かな。
トラックで記録を残したいっていうのもないし。
続けないっていうのはモチベーションにする大会が無いからで。
まあ、あるとしたらマラソンやってみたいはあるけど。。。。。。、
僕は割と自己満足だけで陸上はやりたくなくて、箱根駅伝とか関カレみたいに今までの歴代の慶應の人の目標であり夢で、そういう試合だからこそ追い求める価値があると思うし。
そういうのが無くなるからかな。
自分の環境的に、今以上に陸上に集中できる環境も無いと思うし。

競技をやる上でのモットーとか
健康第一じゃん。
陸上選手ってストイックで練習とかやりすぎる傾向にあるんだけど、健康であること、身体が正常に機能しててしっかり練習して体を強くできる状態にあることが大事だと思ってますよ笑

パーチや駅伝主務、木下みたいなポジションでもない分、同期の中で1番客観的にチームを見れてると思うけど、今のチーム状況で思うことは??
運営のサポートとか、運営に対してもどこまで自分の意見を出せばいいのかが難しくって。
うーん。もどかしかったというか、思うように動けなくてほとんど何もできなかったかな。
現状のことに関すると色々良くなかったなとは思ってる。
例年以上に練習してるのに例年通りのケアしかしてなかったことや、何の下地もなくて距離を積んだってことは。
でも方針が変わって一年目のチームはある程度はしょうがないと思う。
時期的に、金森さんがいらっしゃったのも合宿直前だったし。

合宿中もかなりミーティングをして、そういうことを話す機会は無かったの??
「とにかくやってみよう」っていうのが皆の気持ちだったし。
実際やってみないとわからない部分も多かったし。
あと、ケアが問題っていうのは本質の部分じゃなくて、一番は体の使い方だと思ってる。
あとは食事とか他のところ総合的に。
今年は一年目でしょうがなかったけど、やっぱり付け焼刃でどうにかできるもんじゃないって思ったから。
皆、予選会に対して強い思い入れを持ってくれてるのは良いんだけど、そのせいで「怪我してるけど足壊れても予選会を走る」みたいな流れができてて、でも予選会走ったせいでその後の一年を棒に振るみたいなやつをだしたくないとも思って。
そういう今の現状はうちの代の責任で、うちの代がそうやるって言って今の現状を出してるだけじゃなくて、その後の代にも影響するようなことまで至ってるのが良くないなと思う。
思うけど、、、、、予選会は走って欲しいし、、、、、、チーム状況的に走らせざるを得ないし、、、、
うーん。難しい。

内山・濱松も、うちの代の責任でもあるのかな、、、、?
うっちーは違うけど、濱松はそうかもしれない。
同志社前の段階で濱松は貧血の症状が出てて、でもそれなのに同志社戦にむけてすごい合わせて練習してて。
正直危ないなと思ってて、でも濱松が走りたいっていうのもわかってたし。。。
そこで自分が止められなかったというか何もしてあげられなかったて言うのが申し訳なかったな。
まあ、補欠だったから言うのも難しかったしあんまりはさみこめない状況でもあったけど。。。
でも、それでその後やばい状況にならせちゃったから、、、、

チームとしてしか箱根に出れなくなったら、慶大は箱根駅伝とどうやって関わっていけばよいと思いますか??
前提として箱根は目指して欲しい。目指してる過程で可能性を感じられる機会もあると思うし。
あと、僕は付属校の強化が外せないと思ってる。
塾高は一緒のグランドで練習しているわけだし、上手く大学の練習と連携を取ってお互いに高めあっていければいいと思う。
今の問題は人材の確保だから、その点は付属校でカバーできると思うし。
高校のコーチとかできたらいいんだけどね。
慶應系列出身じゃないから難しいかもしれないけど。

一緒にジョグしたりとか、結構コミュニケーションとってたよね。
この前見たけど、志木高の一年生はめっちゃいたし大学でも続けてくれたら大きな戦力だね。
次の代の長距離陣、頑張れ!

予選会への意気込みを
チームに求められてる走りをするって所で皆頑張ろうとしてる部分があるけど、僕はあくまで予選会は自分の走りをしっかりしたい。それが結果的にチームの為になると思うし。
今年だけじゃなくて慶應の四年間で培ってきたものをすべて出し切る、そういう走りをできればいいなと思う。
目標としては62分を切れれば、学連選抜入りが見えてくるし。
もっというと学連選抜内で十位以内のタイムを出す。それが目標です。

痛めてたお腹の筋肉の状態は??
二週間前くらいに痛くなって、それでどうかなと思ったけどかなり順調に回復してる。
左足に力が入りづらいとか他の部分で不安に思ってる所もあるけど、走れないくらいじゃないし。

最後に、合宿所寮長として何か!
全体として言いたいのは、やっぱり共同生活だからもうちょっと周りの人に気を使うとか、協力をするとかを大事にして欲しい。年齢を重ねるごとにそういうのって薄れてきてるから。
あと、非合宿所員に対してはもっと合宿所に関心を持って入所して下さい!ってこと!

あっお世話になった神田さんへのメッセージも!
僕がここまでしっかり競技ができたのも神田さんが毎日ご飯を作ってくれたからで、今の僕は神田さん無しでは出来なかったです笑
ごはん、美味しく食べさせてもらってました!

一番おいしかったのは??
割といつもおいしく食べさせてもらってたけど、、、、、
うーん。
とりあえず朝御飯の豚キムチは好きだった。
これがあると朝ちょっと嬉しかったです。

今までで一番すごいメニューは笑 
インパクトがすごかったのは巨大な麩!
巨大な角煮が円をまいてる食べ物かと思ったら麩で。
まあなんかあれは麩でした笑

てっちゃん、ありがとうございました!!
いよいよ明日が予選会
インタビューからもわかるように、メニューを消化するだけじゃなくて自分の体にとって今何が必要かを考えてそれがはまったのが復調の勝因です!
改めて、良い練習をするための下地作りの大切さを実感しました。
また、寮長・非幹部として部活のためにできることを考えてきた鐵本らしく、特に今年個人的に頑張ってくれてた慶應系の高校との連携は部活として今後取り組むべき所です

学連選抜は、ある意味慶應内の争いです。
同期・後輩、無理ですが皆に箱根を走って欲しい気持ちがあるので、一人かあという感じなのですが、、、、、
ですが個人で良いタイムを出すことは、結果として塾記録更新というチーム目標につながります。
皆が今出来る最高の状態で20kmを走り切って、とりあえず無事に帰ってきてくれれば、今はもうそれで良いという心境です。その後に色々ついてくると思いますし!

明日の9:30からの約一時間。
今までの思いを全て出し切るレースをして欲しいなと思います

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