四年間のコトバ  松田昂大(理工4)

松田昂大(理工4)   長距離パート

松田

いつから陸上をやってるんですか??
小学校の時にハードルをかじってたのが正確には最初。
小中とずっとサッカーをやってて、でも東葛駅伝っていう歴史ある駅伝に中一からでてて、最初はサッカーの体力作りにやるかなくらいだったんだけど中2くらいからおもしろくなってきて。
中3で県で4番にもなって。
陸上部の先生からは陸上をやるよう勧められたけど、中学は結局サッカーをメインでやった。
その時のサッカー部が弱くてやる気無くて。チームがけじめが無いというか、楽しければいいじゃんって感じで俺がまじめすぎたのかもしれないけど合わなくて。
その時のチームがめっちゃ良かったら俺は今でもサッカーをやってたと思う。
陸上は結果出てたし、良いコーチもいて。
朝6時くらいに学校行ってジョグして、その後サッカー部の朝練やってみたいなことを毎日やって、休日も午前中は駅伝、午後はサッカー部の練習ってことをやってた。
今思うとよくそんな体力あったなとおもうけど。
で、長距離の方が自分にあってると思ったし、中3の終わり位に高校では陸上やろうと決めたのかな。

本格的に陸上を始めた高校時代
駅伝もやり、トラックもやる感じ。
選手があんまり集まってない中では頑張ったかな。
入部後もそこそこ順調に行ってベストは高2の16‘09
毎年冬が調子よかった。で、冬走れたのに春先に怪我するパターンが多かった。
大学入ってなぜか治ったけど捻挫癖もあったし。
夏の合宿でした捻挫が響いて選考で負けて、結局高3の最後の駅伝は走れなかった。
最後にトラックレースも走ったけどそれも良くなかったし。

大学でも陸上を続けようと思ったのは&競走部でやろうとおもったのは??
結構怪我も多かったし、高校の陸上で疲れちゃって最初はあんまり考えてなかった。
結構もう精神的にもまいってたし。
やっても同好会か自分でやるかかなくらい。
でもその年の箱根を見て、単純だけどやっぱりやりたいなと思って。

その年って東洋大学が初優勝した年だよね。
めっちゃ感動した気がする。

そう。それ見て結構漠然とだったけどやっぱりやりたいなって。
後もう一つは、指定校で慶應が決まって暇だったから、箱根の区間を3日くらいかけて走ったの。
初日は午前中一区、午後2区みたいな。
そういうのもあって、箱根がレベル高いのは知ってるけど、でもやりたいなって。

箱根はひとつのきっかけだったけど、慶應で長距離をやることについて
正直言うと長距離をやるなら慶應じゃない方が良かったなとも思ったんだ。
でも指定校で慶應決めたのが先だったから、ここで頑張るのが自分の環境かなと思って。
レベルはまだまだだったけど学連選抜あるのも知ってたし。

入部当初の目標は??
学連選抜&高校の時からずっとやりたいと思ってた3000SCで関カレに出ること!
3000SCは、結局1年の時は試合に出れなくて、2年の六大が初レースだったのかな。
で、2年の関カレを見てこれは出たいと本気で思って。
それくらいから、予選会に対する気持ちとトラックに対する気持ちが半々になった。

高校と大学の練習の違い
高校のメニューは、先生とブロック長が相談してたてる感じ。今と近いね。
強いていうなら体作りとかは皆で今よりしっかりやってた。
補強やサーキットは短距離とかなりやってたね。

一年の時が一番よく走れてたよね。その後上手くいかなくなった理由とか??
Aチームのレベルが低かったのもあるけど、入部当初からAチームでは走れてて。
でも予選会一カ月前くらいに一回怪我して、予選会がちょっと微妙でその辺から崩れてきたかな。
それでも年明けくらいはちゃんと走れてたけど。
でもその後かな。二年の初めの怪我が大きかった。
六大走ってその後のポイント練習でアキレス腱にきて、結局それで三ヶ月くらい走れなかったかな。
たまに走って、また痛くなっての繰り返しで。
夏に入ったらまた少し走れるようになったけど、もう予選シーズンも迫ってて。
紋別位でちゃんと走れるようになったけど、、、、、そこからあんま覚えてないな。
やっぱりこの2年春の怪我でおっきい意味で良い流れが崩れたと思う。
あがってこない、走っても良くなってこないみたいになって、気付いたら怪我してってなって。

こんなこと言っちゃいけないとは思うけど、自分は本当にメンタルで左右されるなって言うのがある。
走れている時は気持ちが乗って走れて、調子悪い時とか走れてない時は気持ちが乗ってなくて。
気持ちが乗ってないから走れなくて走りも崩れてさらに下に行っちゃうみたいな。

けっこう怪我をしてきたよね。原因とかって??
それに関しては正直答えは出てなくて。
言い訳にしちゃいけないとは思いつつも、学校が結構忙しいのもあって。。。。
一番いけないのはジョグよりポイント練習を優先しちゃった時期があったこと。
やっぱりジョグのベースが無いと、ポイント練習はできてもけど怪我するし。
あとは生活リズム。
2年・3年は実験のレポートで忙しくて、ひどい時は2週に一回は徹夜とかしてたし。
そこをもっとうまく、、、、、まあでも、今でもできないんだろうな。。。
性格的に学校のテストも、レポートも部活も全中途半端にできなくて。
結果から見たら全部中途半端なんだけどね。

最近調子が戻ってきた理由
4年になって研究室はかなり落ち着いた。
自分の中でも部活に集中できるような環境を作ってきたつもりだし・
なによりも、正直金森さんの存在が大きい。
長距離ブログに書いたこととかなりかぶってくるけど、練習とか以上に精神的に大きな支えになった。
夏前は暑さのせいもあったんだろうけど、本当に全然走れてなくて。
その時は一年生にも勝てないくらいだったから、一回予選会メンバーは入れないなとまで思って。
あの時点では入れない位置にいたし。
それで、もうどうなってもいいなと思って。
金森さんが来て下さって、金森さんを信じてこれで怪我して走れなくなったんならそれでも構わないってくらい正直本当にすがる気持ちでやってきた。
上手くはまれば良いし、だめならあきらめが付くと思って。
で、ある程度自分の考えは捨てて、というかあんまり自分の中に言い訳を作らないように金森さんの言われた通りやろうと思ったのが8月の初め。
8月入って涼しい環境で練習できたって言うのもあるけど、走れてきて。
単純に涼しくなって走れてきて自分の中に良い流れが戻ってきたのも理由の一つだけど、「もうワンランク上にまで来てるな」と今思えるのは金森さんが支えになってるからだと思う。

一番嬉しかったのは、4次合宿のすごくよく走れた10km+10kmの練習後に「松田が走れたのは俺も嬉しいよ」言ってもらえて。
「ちゃんと見ててくれたんだ」と思って、それがすごく嬉しかった。
たぶん今までずっと一人で解決しようとしてたから。
やっぱチーム内だとお互い選手同士だし限界があるし。
マネージャーとかももちろん支えになってるけど、1人じゃないっていうのがやっぱりすごい支えになってて。
選手間だと悪かった時は改善策を言い合える環境はあるけど、良かった時に一緒に喜んだり共感するっていうのが少なくて。
そういうのができたのが本当に大きいと思う。

予選会への意気込み
目標は65分台は狙っていって、調子良ければ64分台出すこと!
20kで今まで一番早かったのは1年の立川ハーフの20km通過だからね。
あとは、10番以内で帰ってきてチームに貢献すること。
20kmで長丁場だからあんまり気負わずにいきたい。
去年西郷さんがレース後に「納得した走りでした」って言ってたのが印象に残ってる。
今、結構調子はいいし走れるとは思うけど、そういう風に当日スタートラインに立った体の状態でその時の最高の走りができればいと思う。
まあ納得した走りがしたいのが一番で、そういう走りができれば結果はついてくると思う。

今の調子は??
今のところ、ちょっと怪我してるとこ以外はすこぶる調子がいい。
怪我も、少なくとも当日走るのはできて、それをどう上げてくかって感じだし。
今、怪我一週間練習を休んでたけど、それまで大事なポイント練習ははずしてないからそこまで不安は無いし。
気持ちの問題だけど焦りは全然ない。
夏は結構がむしゃらに走ってきて「走れちゃったなー」って感じだったけど、秋になっても予想より走れることが多くて力が着いたのを実感してるし。
まあ、なんか行けそうな気がする。

どんな応援をされたいですか??
黄色い声援は全部の場所で欲しい笑

それはOGさんを含め、松田の人望が必要だね笑
うーん笑
毎年言ってることなんだけど、ありきたりじゃない応援が欲しいな。
「頑張れ」だけじゃなくて、何か一言あると頑張れる!

今の競走部に対して思うこと
自分が言えない部分もあるけど、チーム力っていうと浅いんだけど、もっと人に興味を持った方が良いというか。。。。
練習途中でやめるとか、集合だけ出てすぐ帰るんじゃなくて。。。
うーん。言葉出てこない。。。

でも、なんとなくわかる気がする

理不尽さを嫌いすぎてると言うか。
「自分だけが良ければいい」だけじゃないっていうのがずっとあって。
でも自分の中でもその折り合いが判らなくなった時があって。
確かに自分が速くなるのが一番なんだけど、チームとして考えた時にこう動いた方が良いんじゃないかみたいな。そういう理不尽さも大事だなと思うから。
一時期はちゃんと注意してたけど、あんま変わらなかったんだよね。
自分の中ではこうしようってルールは作ってたけど、そのうち「じゃあ人に注意する時は…」っていうのが自分の中で見えなくなっちゃて、あんまり人に言えなくなっちゃて。
チームでやってく上で、ある程度折り合わなきゃいけない部分はある。
そういうところが、もうちょい何とかならないのかなと思う

関東学連のお手伝いも毎年してきたけど、それは箱根への思いと関係が??
きっかけはたまたまだけど、箱根と関われるっていうのはすごく良い場だと思ってる。
毎年良い仕事をさせてもらってると思う反面、毎年やっぱり走りたい、悔しいとも思ってるし。
だからそれが学連で働いてる人とは違うモチベーションだと思うけど。
運営をやってるというよりは、手伝いプラスアルファかな。
スタートの雰囲気、ゴールの大手町の雰囲気、支援、応援、テレビ観てるだけでもわかるけどその規模。
そういうのに関わる機会をもらえて、箱根があれだけすごいっていうことを知れたのが良かったと思ってる。

学連選抜制度もなくなる方向で、これから箱根はチームのみで目指すものに。
慶應の長距離が出場を目指すためには、どうすればよいと思いますか??

選手を集めるしかない、実際そういう世界な気がする……
相当良くて今の状態でも予選会15位くらいならいけるだろうけど、そっから先は相当きついと思う…

でも、ただ一つ言えるのは今の状態では下地がないってこと。
駅伝はチーム戦。
今は個人が強くなればいいっていうのがあって、それは当然なんだけど、まとまりというかチームで強くなろうっていう意識を1人1人それぞれの選手が本気で持たないダメだと思う。
今の気持ちのままじゃ、例え20人30人になったとしてもそんなに変わらないと思うし。
具体的に、俺が思うのはもっと練習中に励まし合うじゃないけど、離れそうな選手をカバーするとかもっと皆で強くなることを常に意識しないとだめだと思う。
ただ、それだけじゃ足りないとは思うけど。。。

あとは、慶應でやるなら選手にもよるけどそこまで箱根を目指しすぎなくても良いのかなと思う。
これはそれぞれの価値感だし、それぞれの目標があって良いと思うけど。
今も目指してるだろうけど、トラックで関カレ全カレを目指す選手がもっといても良いと思う。
予選会だけじゃなくて、トラックでどういう結果を残すっていうビジョンをもっと持ってもいいと思うし。
結局俺は怪我続きであんまりできなかったけど。
この辺りは自分の中でもまとまってないから言葉にできないな。

松田、ありがとうっ
夏からどんどん調子が良くなっていき、9月末の日体大記録会では10000m、32”09″77のPB
この夏の成果が早速記録にあらわれました!!
本人も言っているようにその時のメンタルが走りに出やすい松田。
ですが最近はこちらから見ていても「大丈夫だな、良いループにいるな」という様子なので、予選会でもきっと良い走りをしてくれるでしょう
また、松田の言っていた「見ていてくれる人の存在」はやっぱり大事だなと思います。
サポート陣としても、至らなかった部分としてちゃんと捉えたいと思います。
でわでわ、女子部員・OGの皆さま!
当日は、松田には普通より1.5倍の黄色い声援を送って、レースをバックアップしましょーうっ

かなり私事ですが、中・高校時代に発症した左手の腱鞘炎がこのブログ&卒論のせいか再発の兆しが……
まだあと8人ほど残っているので、なんとかもって欲しいものです

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