慶應義塾體育会競走部 慶應義塾體育会競走部

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2012.9.29

マネブロ

5年間のコトバ  西森大展(理工4)

早慶戦で引退組のインタビューも残り2人となりました
ここまで来ると、記録が出るとき気持ちのパターンや大事にしてることの共通項が見えてきますね。

さてさて、今回のこのタイトルは間違っているわけではありません!!
理由はー知りたい方は本人まで笑!!
それではいつも優しいこの方のインタビューです

西森大展(理工4)    フィールドパート

nishi

陸上はいつからやってるんですか?ずっとやり投げですか?
えーと。。。中2から。
たまたまというか、誘って頂いた先生がやり投げの先生で。
中学はやり投げの試合が無いから砲丸をやりつつ、中3くらいから高校デビューを目指して練習していました。


高校デビューはどうでしたか??

華々しくデビューを飾りました!笑
いきなり県大会(岡山県)で5位になって、高1から県大会を勝ちあがるのは投擲だと結構難しくて。
その上の中国大会まで行きました。

おおー
中国大会ではどうでしたか??
高1では経験不足でその年は全然。40mくらいしか投げられなくて、当然決勝に行けるわけもなく。

高1のベストは?
56m63
自分でもよく投げたなと思う笑
顧問の先生に本当に良くしてもらって。
体力も何もなかったけど、練習だけはちゃんとやって。
でも本当に先生に恵まれたと思う。
走るのも最初50mで8秒くらいかかってたし、当然跳べれないし、投げることもできないし、体力もなかったけど、あの時は本当にがむしゃらにやってたな。
野球っていう団体種目をやめて陸上を始めたんだけど、個人競技っていうやったことが全部、結果も責任も基本的に自分に返ってくるものをやっておもしろいなって感じだった。

陸上部に誘われたんですか??
うーん。。。
色々あって野球部を辞めた時に、その野球部の監督が自分の陸上の恩師(陸上部の顧問)に話をつけて下さって、練習に入れさせてもらった感じ。

高校3年間のベストは??
高3で58m9cm出して県大会は優勝したんだけど、その年の中国大会で56m97って数字を投げたんだけど19cm6位に届かなくてインターハイには出れなかった。(ちなみに67mで神崎さんが2位)
肘も壊してたし、複雑だったけど、まああの時はすがすがしくやりきったかなって感じ。
3年間中国大会には出たけど、インターハイには縁がなかったっていう、そういう高校生活でした。

最初から競走部で競技を続けるつもりだったんですか??
自分の高校と競走部のOBの桑田さんという方がいて、もともと「是非やればいいじゃないか!」と言われていて、やるものなんだなと思ってた笑
高3の冬に始めてまだ土の日吉グランドに練習に来て、かなり自由な雰囲気で縛られずやってるんだっているのが体感できて、これだったら自分もできるかなと思った。
高校の部活の雰囲気に通じるものがあったし。

入部後は
4月の六大OPに出させてもらったけど52くらいだったかな。全然動かなくて。
でも一年の6月の同志社戦でいきなりベスト59m39が出て、雨の中練習不足の中良く投げたなと思うんだけど。
早慶戦でもPBが出た。

さすが対抗戦に強い男ですね

福田さんて言う人格的にも素晴らしいやり投げの先輩にも恵まれたしね。
その後第二次肘の怪我期に入るけど

じゃあ西森さんを悩ませてきた、肘の怪我歴史について語って下さい!
第一次は高二の冬に壊した時。それで高3はずっと悩まされることに、

よく投げれましたね、中国大会で
それはもう、気合笑

第二次は大1の早慶戦が終わって、2年生の2月関カレ切りを目指した試合で力んで投げたら肘を痛めて。
それが大学での肘の怪我の始まりだったかな。
この怪我をこの後3年間引きづることになる
その年は肘がバカになっちゃって、もう駄目だった。
なんか引き際が分からなくて。関カレ標準切りたいとか目先のことにとらわれすぎて、どうしても気持ちだけで投げてしまった。
怪我をして無理して試合に出てまた悪化させて。
とんでもない状態になってしまった。
その後も何回か試合出たけど全部だめで。
それがひどすぎたのもあって次の年(2年生2回目笑い)も3回くらいしか試合に出られなくなって。
やっぱりその時は引き際とか、休む時は休むとか自分の管理がちゃんとできてなかったね。
今思うと若かった。

西森さんが3年生(2011年)の六大でPB61m71で関カレ標準を突破しました。
怪我との付き合いもある中、勝因は何だと思いますか?

2009年からOB土屋さんにかなり見て頂いて、特に熱を入れて指導してらってたからそれに自分も応えたいというのがあった。
それと、言われてることをしっかり自分の中で具現化できたのが良かった。
手応えの出来た練習を冬季に積むことができたし。
あとは自信を持ってピットに立てたから。
自信が無いと良い記録は出ない。
その時は副将だったから競技面でも結果を残したいなっていうのもあったかなあー
あとは、影薄くなってるのもあったから笑 自分だけが思ってたのもあったかもしれないけど笑
同期も記録が停滞していたし、自分がドカンと一発投げて景気づけしてあげたいっているのもあった。
ただその時に少し痛くなって、その年の関カレでも60m3くらい(セカンドベスト)は投げたけどシーズン後半にはまた痛くなっちゃった。

悩まされてきたその怪我から学んだこと
やっぱり気分が暗くなることがあって、一年以上全部沈んだ気持ちでシーズンを過ごしたことがあったから、
内にこもらずに競技のこともそうだけどいろんな話をしてコミュニケーションをとった方が良いと思う。
違う種目でも練習方法とかケア方法とか。

今は肘より腰って感じですか?
腰は持病。
肘は今は4年目の経験を生かして、肩に負担のかからない投げ方を模索したり、肩が自分は堅いから重点的に柔軟性を上げる取り組みをしたら、痛みを気にせず投げれるようになったかな。
投げの構造も一年生の時とは比較にならないくらい肘に負担のかからない投げ方をできるようになったし。
だからこそベストを更新することができてるのかな。

じゃあ、一緒に練習してきた投擲パートに一言!
うーん。自分なんかより身体能力の高い人間しかいないし、現時点でやりの後輩は自分より投げてるし。
でも一度重大な怪我をすると練習を積めない期間ができてそれは無くした方が良いから、まあケアと今の投げ方が妥当かをしっかりと自分に問うて、あたりまえだけど怪我をせずに練習を積めるよう気をつけて欲しい。
今はちょっと海老原が心配なんだけど。
継続した練習がつめれば強い子たちだから大丈夫じゃないかと思います。
これからも陰ながら応援したいなと思っています。

自分の体と向き合った5年間でしたが、特に伊藤さんには肘のスペシャルテーピングをしてもらうなど、トレーナーにはお世話になってきました。
彼らに一言お願いします!

そうですねえ。
自分はなかなか自分の管理方法とかも含めて上手くいって時期が多い中で、安心して試合に出るためには普段のマッサージだったり伊藤さんのスペシャルテーピングだったりそういうことをしてもらうのが必要だったから、本当に感謝してもしきれません。


ではでは最後に、やっともうすぐ5年間がおわりますが笑
先に引退していった同期たちにメッセージを!

同期という存在がなくなった去年の10月ごろはやっぱりうつろな気分になった時もあったので、
同期の存在は大きかったなと思います。
一緒に過ごした四年間はベタな言葉ですけどかけがえがなかったなーと。
良い時間を過ごさせてもらいました。同期の皆さんありがとうございました。

あっあとは1年間長く居させてもらって、今の同期の皆さんや後輩には気を遣わせてしまった部分もあったと思うのでちょっと心配してます。本当に心から感謝をしています。

西森さん、ありがとうございました
オフ中やテスト期間中など、そうした時期でもいつも西森さんの練習する姿が競技場にはありました。
また、私事ですが優しい西森さんだからこそ相談できた話もありました。
怪我に悩まされた期間があった分、西森さんの関カレ出場には「絶対復活してやる」という執念が感じられました。
明日が西森さんの引退試合となります。
調子はあんまりと言っていましたが、対抗戦に強い男として最高の投擲が見たいところ!
悔いのない試合となりますように。西森さん一本!!

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