4年間のコトバ 浅井克弘(法4)
今回は副将も務めたこの人です
浅井克弘(法4) 中距離パート、副将
陸上はいつからやってるんですか?きっかけは?
中学校に入学した時から!
小学校の時から足が速かったのと走るのが好きだったので。
高校(慶應志木)は駅伝系の部活だったのに、なんで大学では中距離をやろうと思ったんですか??中学校の時に中距離は自分に向いていると思ってたのに、高校の競走部に長距離しかなかったためできず、高校で結果も残せず、非常に悔しく不満足だったので大学でもう一度やって自分の力を試してみたかったからです!
初めて部活に来たのはいつですか?
入学式のちょっと後くらい。六大の二日後かな。
くそびびって来たけど、意外と皆良い人たちですごい親しみを感じました。
最初行った時は長距離に行かされて、2回目に行った時は中距離でそこで二号とジョグをしながら「不安なんだよ」みたいな話をして入ろうと思ったかな。
入部当初の目標は??最初は県選に出れればくらい。
でも2年生くらいにインカレをまざまざと見て、そこからはインカレで活躍したいと思いました。
一番きつかった時はいつですか??
色々あるけど、、、、1年目は一番弱いのに集合欠が週2日くらいあって自分1人で練習しないといけなくて、昼休みに1人でやって汗だくで乳酸やばいまんま授業行ったり、そのあとバイト行くみたいな生活をしていたから、そういう意味で1人でやらなきゃいけないとか時間的に追われていたことがきつかったかなー
でもなんだかんだ皆と仲良かったから楽しかったことは楽しかったけど。
本格的にえぐったのは3年の秋くらい。
なかなか結果をだせなくて、自己ベストも伸ばせなくて、さらに副将になってプレッシャーもかかるようになってやばいって感じでした。
今年の全カレ標準切り前も苦しそうだったけど。。。
練習はできてたけど、試合に出てみたら全然走れなくて、何で走れないんだろうって思って。
諦めようと思ったけど諦めたくないし、後もないしもう本当にどうしようという感じできつかったです。
あんまり浅井は怪我をしていたイメージがなかったね。一年の時に筋膜炎になったけど、練習禁止ではなくジョグくらいならOKって感じだったから、4年間を通して大きな怪我はしてないかな。
4年間で一番うまくいったのは
大2の春から秋にかけて。
高校からやってきたことと大学から新たに始めたことが上手くかみ合っていけたんじゃないですかね。それで気持ち的にものってたし、どんどんどんどん上手くいって良いスパイラルでやれてたかな。
入部当初からPBを10秒以上縮めました練習面で意識していたことは?
大学生になると自然な成長は期待できないので、自分でのびしろを作っていかないといけない。そのためにもやっぱり何かしら新しいこととか、今までの自分とは劇的に違う部分を作っていかないとのびしろはできないんじゃないかと思います。
いつまで競技を続けるんですか??とりあえず今シーズンは11月の頭くらいまで記録会があるから出る。
社会人になったら会社の陸上部には強制的に入部させられ、強制的に走らされる(マイルも4継も駅伝も!)
実業団の標準記録も切ってるし、まあ配属が神奈川近辺だったらやりまーす。
地方だったらやりませーん。
≪二号≫ えっ鳥取配属になったら鳥取砂丘でダッシュとかできるやん!
ぜったい嫌でしょ!1人で鳥取砂丘ダッシュとかメンタル続かないでしょ!
でも冬季もそこそこ走るつもりです。暇人だし。
では副将として最後に、これから幹部になる子たちメッセージを!
うちの部活の特徴として自分の都合の悪いことから目を背ける人間が多いんで、それは自分と意見の合わない人とはあんまり付き合わないとか人間関係に関してもそうだし、自分のやりたくない練習はあんまやらないとか練習に関してもそうだし。
そういう人がたぶん多くて、そういう部分に目を背けると良いチームにはならないし、良い競技生活も遅れないから、自分のやりたいことやできることだけじゃなく、自分がすべきこともしっかり考えて私情とか抜きにして、やっていくといいんじゃないかと思います!
やっさい、ありがとうっ
インタビュー中にもありましたが浅井は入部当初から10秒以上もPB更新した、競走部で強くなった選手です。
今の下級生には知らない人の方が多いかもしれません。
一部員から予選会補欠、マイルメンバー補欠、六大選手、関カレ選手とステップアップしていく様子は、明確な目標を立てて実現のために自主的に行動するという競走部の理念を体現しているようです。
ここ最近の試合ではなかなか思ったようなレースができず苦しんでいる浅井ですが、最後は悔いのない走りをして笑顔で終わって欲しいと思います