4年間のコトバ 浜口文弥(理工4)
4年マネージャーの石井です。
早慶戦まであと4日!!!!
代交代が近づいます
私たち4年生の代は、今の段階ではまだ競技を続けたいと考えている人も多く、競技から離れる時期はバラバラです。
それでも早慶戦は長距離以外の4年生にとって大きな節目。
この節目を前に、私自身も自分の四年間を振り返ることが多くなっています。
例年先輩方を見てきて、結果がどうであれ引退を前にした、陸上に4年間を捧げた人だからこそ話せる話があるなと思ってきました。
普段はなかなかしずらいこうした話をなんらかの形で残したいと思い、4年間を振り返ってもらったのがこのインタビューです。
同期の4年分の重みは数十分のインタビューでは触れるくらいしかできませんが、少しでも4年生の思いに寄り添えれば引退試合の重みや競技について話すきっかけになるはず
予選会までに4年生全員分をアップするつもりなので、是非是非ご期待下さい
第一段は「ぐてぃ」ことこの人です!
やじがめちゃくちゃ入ってきたせいで(主に平野!)、約30分にもわたるロングインタビューとなりました
聞き起こすのが大変だった~笑
浜口文弥(理工4) 中距離パート
陸上はいつから??
小5から。地元で駅伝の大会があって、その駅伝のチームを作ることになって「君もやらない?」って言われて是非是非!って感じで始めました。
その時から今年で12年目!今22歳だから、自分の人生の半分以上やってることになるなー
ずっと同じ種目?
最初は100mでした。中一の時に1本走ったら13″5くらいで、同じ学年の中で一番速くて「これは100っしょ!」と思ってやっていたけど、一年たったら14”5くらいになっていて全く伸びず。
そうしたら先生に「お前もう駄目だから駅伝やれ」って言われて3000走ったらまた同じように一番速くて、そこから一年やったけどまた同じように全く伸びなかった。なんか一本目だけ速いんだよね笑
それで「お前もっと短い方がいいんじゃない」ってことで1500になって、そのうち「お前800mの方が向いてる」ってなって中2のおわりからから800mを始めて、中3から本格的に800mを専門種目としてやるようになった次第でございます笑
なるほどー長いねー
ねー
なんでサークルではなく体育会で、大学でも競技を続けようと思ったんですか??
高校の時の記録があまりにも悪すぎたからかな(1‘59くらい)
中3の時に2‘03だったのに3年間で4秒しか伸びてなくて「ここでやめるのもなー」と思ったし、同好会でも全然良いなと思ったけど平野とかもいて、どっちかなーって迷っている時に平野に話聞いたらやり方次第では体育会でも全然やれるなと思いました。
その時は大森が1“57って聞いてたから「大森ってやつを倒せばよいんだな」と思ってたら、大森が関カレでまさかの1’53PBをだしちゃってこんなやつは倒せないと思ったりもしたな笑
平野侵入
高校で記録が伸びなかった原因は??
≪平野≫女遊び、あげくのはての男遊びが原因です(笑)
≪浜口≫中学の練習をそのままやってた感じだからです!!
初めて部活に来たのはいつ頃ですか?雰囲気や体育会への怖さなど
2月に捻挫してたから、一番最初に部活に来たのはけっこう遅かったです。
その時は沢山人はいたけど、横田さんしか見てなかった。
「横田さんいるわー」って憧れの感じでみてました。
体育会に入ることは、酒飲みたくないなとは思ったけど見てる分には楽しいし、恐さとかは無かったです。競技力が足りないとかもあんまり感じなかった、速くなれるだろって感じでした。
同期たちについて
2号が1’54とかって聞いてたからそこはまだ違うなって思って大森が目標で、平野が2‘01って聞いてたから平野達と練習して大森とかに勝てればと思ってたら関カレで大森が爆発して
でもその前の練習から大森が横田さんと全く一緒の練習をこなしていたからPBとは違うなとは思ってはいたんですけどね。
とにかく最初は怪我をしていて一緒に走ってなかったから(入部前の2月に怪我をして8月まで走れなかった)
初試合は?
1年の10月の秋季オープン。
そこで1‘57のPBが一戦目から出せました!次の日体で1’55で走りますって言ったら2分もかかって全然だめだったけど。
そのときはOB岡本佳哲さんとペース走していて、長い練習ばっかしてたのにフィットロン効果なのか出てしまいました。
入部当初の目標は?
最初はとにかく関カレB標準。
57出した時に正直これはいったなと思ってしまった。こんな練習で57かよ!って。
でもそこから1年間出すことができず、2年の時も0,01秒だけベスト更新はしたけれど、その時期はB標準ではなくては自分の状態を戻すことだけ考えてました。
関カレ出場が本気で見えてきたのは3年になって感覚をつかんできてからだよね。
だから4年の関カレ前の試合は出たかった。
そこが一番メインだと思ってたから、そこで怪我したのは・・・・痛かったよね。
浜口は怪我のイメージが強いけど、その怪我の原因は??
試合とかが一回一回走り終わった後に休むんだけど、その間に走りの感覚が変わって前と同じ感覚で走ろうと思ってても全然違う動きをしていて、それが大きな怪我につながっていったというのが毎回続いた感じです。
だからこういう怪我には気をつけた方がいいね。
思いきり走って肉離れとかそういう怪我の仕方だったらわかりやすいけど、動きが変わってるというのは言われないとわからないし見てる方も微妙な変化はわからないから。
そういう微妙な怪我の仕方をしてたから、その度に怪我の改善の仕方を見つけられなかったのがこの4年間の悔しいところでもあるかな。
関カレB標を切ったのは3年の10月29日、短距離最後の日体です。その勝因は?
1か月前の記録会や練習の時点でこれはもう出るって思ってたし、その一週間前の記録会でもラスト100はたれたけど一周目で結構早めに入れたので、これはもういけるって自信を持ったまま試合に臨めたのが良かったんだと思います。
試合で2分8とか変なタイムで走ることが多いんだけどそういうのって自信が無い時で、山縣が自分の走りができれば大丈夫って言ってるように、やっぱり一番重要なのは普段の練習から記録を出せるっていう自信をある一定の期間持ち続けることだと思う。メンタル面ではそれが一番大事。
それができたから自分の走りも安定して良い記録につながったのかな。
そういう自信を持つには、どうすればいいんですかねえ。。。?
うーん。質問がおっきい笑
自分に自信があるときかあ。良いタイムで走れてる時は常に自信があるけど。。。。
≪星 ≫これやったら絶対記録が伸びるって自信のある練習をやって、記録が出た時じゃないですかね?
それで自信がつくと、また次の練習も信じられるっていう。
いやーそれも微妙だなあ。うーん。
永遠のテーマですで締めといて!笑
≪そこにOGちづるさん登場!
「なんかおしゃれになりましたね」という言葉に対して≫
世の中って意外と何が起こるかわからないから!(??)
あっインタビュー中!?
≪でもここから別件の話を始める千鶴さん(笑)そして、≫
ぐてぃさん邪魔してごめん!!わたしぐてぃさんのことすごい応援してるから!
≪浜口≫あっはい!ここから2ヶ月頑張ります!なんかありがとうございます!
≪と、間違えて競技場の門とは別の方向に帰ろうとした千鶴さんでした(笑)≫
競技はいつまで続けますか?理工学部だから院に行っても陸上を続けられるけど??
9月末の日体にでて、11月の頭に何かでて終わりかな。
最後の試合でまだこれをやったらのびるっていう練習方法とか走り方がみつかればやるし、おもしろくねーなと思ったらやるし。
でも卒論のめどが立ったら、冬も普通に走るつもりです。
後輩たちにメッセージを
自分一人で怪我をしていることは無くて、怪我仲間が必ずいる。
だから怪我してる同士のコミュニティ、ポンコツパートじゃないけど、そういうパートを作って、暗い方向に行きがちなリハビリ期間を乗り切って欲しいです。
フィットロンとかも競ってやるとテンション上がるし、自分は一人で黙々とやってきたけどそういうのをやった方がいいと思う。
後輩たちならできると思うから、そういうところを工夫してやって欲しい。
とにかくトレ室の空気がすごく悪くなる時があるから、そういうのは無くした方が良いと思う。
≪星≫ソフトバンク齋藤和巳のリハビリ担当コーチみたいのですね!
それは確かに必要だね。サポート陣でも新たな取り組みとして考えてみます。
では最後に、理工学部で何の研究をしてるんですか?
泡です。バブル。ソープじゃないです。
○番外編○
「なぜ僕はグティと呼ばれたのか」 by平野
入部当初、内気でチームになじめない浜口少年を見かねた横田さんがみんなになじめるように、「ぐてぃ」と呼んだのが由来。浜口、四年目の真実
そんな浜口少年も、今ではアヌマルハマグリという素敵な源氏名を持つようになるまで成長。
横田さんのおかげです。(感涙)
ぐてぃ、ありがとうざいました~!!
短時間のインタビュー中でさえ周りからいじられまくるのは、ぐてぃが愛されている証拠ですね
先述した通り、入部当初から怪我をしていて4年間を通して万全の状態で走れる期間が少なかった浜口。
そんな彼だからこそ去年関カレB標準を突破した時は、本当に本当に嬉しかったです。
リハビリ期間のことも話していましたが、そうした時にいかにちゃんと取り組むかが復帰時に大きく出るのだなと思いました。
体と上手く付き合うことが陸上には不可欠です。怪我との付き合い方、リハビリ期間や練習についてなど、後輩たちは浜口から得られるものは得て欲しいと思います。
第一段だったのでこんな塩梅となってしまいましたが、もっと本音を引き出せるよう石井のインタビュー技術もちゃんと向上させていきます
それでは、失礼します!