4年生特集③

こんにちは。
4年マネージャーの東島です。

先日から続いてる「4年生特集」も3日目です。
本日は、6名の4年生を紹介いたします!

◯川村知樹(中距離・法政)

《川村(樹)》
「4年間、この表記で愛着が湧いたからです。」

名前が4文字中、3文字同じ選手がいたため、wikiという練習記録のページや、YouTubeの動画の名前もこのような表記でした。
4年間の一言がこの言葉とは…それほど愛着があったのだと感じます笑。
さて、彼は引退後、オーストラリアと中国へ留学に行きます。そこではなんと呼ばれるのか謎ですが新たな愛着のわくあだ名を発掘してきてください。

◯川村知巳(短短・総合)

(左:川村、右:木村)

《寄り道》
「4年間、怪我があったり、フォームを改善しようとしてうまく行かなかったりしました。
タイムには出なかったけれど、これからも競技を続ける予定です。
残り2年間を活かして、寄り道して立ち止まって、
悩んで考えてきたことをこれからちゃんと形にしてタイムを出せたらいいなと思います。」

彼女は、4年間でいろんなことを経験してきました。陸上人生の中で、一番つらかった4年間かもしれません。
その辛さは想像ができませんが、葛藤を抱えながらも走り続けることを選択しました。
写真のように、彼女は笑顔が素敵だなと個人的に思っていたので、レース後に笑ったともみんをいつか見れると信じて、ともみんの背中を押していきたいですね。

◯木村友香(短長・文)

《桜》

(右:木村、左:小野(サポート・理4))
「2つ意味があります。
①桜は、綺麗に咲くけれど散り、また咲く。そんな四年間でした。関東インカレの標準を切ったものの、うまくいかないラスト1年間を過ごしました。
これからも陸上を続けるので、また咲けるような記録を出せたらいいなと思います。
②ただこれからも陸上を続けるにしろ、引退の時期は近いです。10年間やってきて、人は選手として続けるのは短いなと感じてます。誰かの心の中で走り続けてるような、桜のように記憶に残る選手になれてたら幸いです。」

友香は、主務補佐として部を支えながらも、関東インカレの標準を突破するという二刀流を果たしてきました。
少し(?)抜けてて、おしゃべりな彼女ですが、競技に打ち込む姿勢は並大抵ではなかったと4年間共にしてきて感じます。
4年間でいろんな葛藤や困難がありましたが、1年生の頃と比べて、4年間で強い人(かつ女の子にも笑)になったなとも感じます。
きっと社会人になっても、いろんなことに耐えながらも、ひとつひとつのことをやり遂げてしまうでしょう!

◯小杉山秀晴(短長・文)

(左:吉田(短長・経3)、中:小杉山、右:村上(短長・法政2))

《醒めない》
「4年間、熱中してきたからです。」

小杉山は、あまり人に闘争心を見せない印象でした。静かに、けれど心のなかでは熱く燃える人だと4年間共にしてきて感じています。
アップする際も黙々とミニハードルなどひとつひとつの動作を丁寧に確認し、メニューに入るという姿を見てきました。
そのため、フォームは苦しいときも崩さす綺麗なまま、努力の成果だと思います。
また、同期からも、「小杉山は短長になくてはならない存在、短長の頭」と言われ信頼が厚く、短長はブロック長の大谷だけでなく、小杉山のちからもあって、ここまで強いブロックになってきたと思います。自分の競技だけでなく、短長がどうしたら強くなるか考えてきた4年間にふさわしい言葉だと思います!

◯斉藤康太(短短・経)

(左:斉藤、右:佐藤)

《七離八起》
「七転八起(何度失敗しても諦めず、奮起すること)という言葉がありますが、僕の場合は「転ぶ」ではなく「肉離れ」でした。
大学時代は通算9回の肉離れを起こし、そのほとんどは大2(7回)でした。それでも、トレーナー金子、原の力を借りて立ち上がり、大3、4で大幅にベストを更新できました。
周りの支えのもと成長できたこと、この部活に感謝しかありません。4年間ありがとうございました。」

斉藤は、いつも肉離れをしている印象を持つ人が多いと思います、私もその一人です。
しかし、4年間で9回も肉離れをしながらも、3年目からは続々と自己ベストを更新し、14秒台に突入しました。
陸上競技者として成長するためには、肉離れは欠かせなかったのかもしれません(さすがに9回は多いですが…)。
ここまで腐らずに4年間やり遂げてきた彼の忍耐は、次なるステップでも生かされることでしょう。無事に国際線までたどり着いてね。
◯佐藤孝紀(短短・法政)

《ぎょしん・ゆけむり・リハビリ》
「怪我などで辛かった時、ベスト出して嬉しかった時など四年間でいろいろあったけれど、心身ともに支えられてきました。」

あまり言葉を積極的に発さない佐藤が、特に”ぎょしん”、”湯けむり”(に行きたい)という言葉しか聞いたことが無いかもしれない…、と4年間を振り返って感じました笑。
10種目という過酷な競技をしていくエネルギー源がこの3つなのでしょうね。
また、佐藤はよく部員に、「部室の主」ともいわれるほど、誰がどの時間に競技場にきてもいつも佐藤がいるという光景が多々あったそうです。
そんな努力家に必要不可欠で、彼のモチベーションがこの3つだと思うと感慨深いです。

いかがだったでしょうか。
みなさん、4年間をひとことで表すのに苦悩していました。
様々な言葉を選んだ6人でしたが、あっというまの4年間、そのなかにも色んな思い出や時間があり、それぞれ4年間がどんなものだったかが伺えます。

引き続き、明日も更新予定ですので、ぜひご覧ください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。