四年間のコトバ  大野三津雄(環4)

本日16:35から日本選手権リレーマイル予選が行われます
今回は、この試合で学生としてのラストレースを走るこの人です

お気づきの方もいると思いますが「4年間のコトバ」、最初に比べて徐々に長文化&長時間化の傾向にあります
インタビューというより、もはや普段のおしゃべり
その発端を作ったのがこの男です!最後の方はもはや雑談に笑
インタビュー総時間、約2時間!!聞き起こし大変でした
そしてこの写真は本人から送られてきたものです。

大野三津雄(環4)    短長パート

写真

いつから陸上をやってるんですか??
部活としては高1から。
小3から中学校はサッカーをやってた。でも、中学でも100で中野区の試合とかに出てて、夏休み限定で陸上の練習はしてた。
当時は、体操着来てスタンディングで11“6 くらい。
サッカーやりつつも足には自信あったから、都大会に出て入賞とかはしてたけど、決勝だと周りが陸上部でスタートが本当に違くて。
聞いたら全中3位とかで「すげーな」って。
それで陸上のすごさを知ったのかな。
あと、自分が所属してた中野区があんまりスポーツが盛んじゃなくて、陸上でもサッカーでも区で上位になっちゃう感じだったから。
もっと上を目指したらどうなるんだろうと思ったのかな。

あと、当時中学生の俺はインターハイってものにすごい憧れがあって。
サッカーで出れれば一番良いけど自分のレベルを考えた時に、全国に行くようなやつは中学から強豪校とかクラブチームに入っているから名もない区立中学に所属している俺はスタート地点が違うなと思って。
中学の時にサッカーで3区合同の選抜メンバーに選ばれたんだけど、そこでレベルの違いを思い知らされたし。
自分が今までやってたのはサッカーじゃなかった!くらいに笑
あきらめちゃいけないけど、それでサッカーは自分の目標を達成するためにはダメかなと思ったんだよね。

で、とにかく自分のフィールドで活躍できるものは何かなっていうのを考えて高校では陸上を頑張ろうと思った。
だからチームスポーツから個人スポーツへの違和感はほとんどなかったな。
陸上は記録が残ることがすごい面白かった。
東京都の体育の教科書とかを見ても平成何年の100mの入賞者は~みたいに載ってて。
自分がパパになった時にサッカーやってたって言うより、陸上の方がわかりやすいし名刺みたいに未来永劫残るっていうか。それがすごい面白いなって思って。
それでサッカーは好きだけど、それはピークをすぎてから趣味でやろうって。
自分の体が成長している間は陸上をやろうって陸上部に入った。

みつおの陸上を語る上で外せない、駒場高校時代
それまでは100mをやってたんだけど、高1から400mに。
400m始めたら、それが100・200にもいい影響を与えて。
同期のやつも、今も陸上を続けてるくらい強い子が集まってたし、相乗効果と言うか高2年にがーっと伸びた。
それで高2の時には、4継でインターハイにも行くことができて、準決まで行けて。

で、一応全国大会に出てみたいっていう入学当初の目標は達成できたから、次は個人とマイルで出場と4継で今度は決勝に行きたいって思って、それで高2の冬季はずっと頑張ってた。
神奈川とかが強いから都大会で優勝してインターハイに行くんだって思って、冬の間もそのことばっかり考えて。でも、高3の都大会のマイルでは、俺の前の3走の子がバトン落として、それまでずっと一位を走ってたんだけど俺にバトンが来た時はほぼ最下位いで。
絶対失敗しちゃいけないところで残念な結果になっちゃたんだよね。

今でこそみつお=マイルのイメージだけど
あんまり高校の時はマイルに対して良い思いが無いんだよね。
高2の時も関東大会や新人戦までは行ってはいたけど、やっぱどうしても神奈川とかの壁が厚くて上手くチームとして勝負できないなって気持ちがあって。
だから自分がちゃんと400速くなって、マイルでもインターハイに行きたいなと思ってたのに春でこれで、、、、
それはねーもう、、、、、
3日3晩泣くんじゃないかってくらい落ち込んで、冬季ずっと目指してきたものが一瞬で無くなったわけだから。
自分達が出れなかった決勝の試合を泣きながら見てたりして、、、、

個人は春先に肉離れしてたけど、うまく都大会に合わせることはできて関東大会に進むことはできた。
で、せめて個人ではIHに行こうと思ってたら関東大会は予選9番でダメで、さらに去年IHに出れた4継も予選落ちして。
もうー陸上、嫌になるわな。
だから3年のIHに関しては、自分の中で全く無きものにしてた。
結果も知らないし、陸マガすら買ってない。
例えば長尾とか今までだったら知ってたはずだけど、結果を見たくもなかったから知らなくて。
逃げてた部分があったんだよね。
それで高3の時は大学では陸上を続けないつもりでいた・

競走部に入るまで
高校のPB48”99
関東選手権の時に、関東予選落ちの俺になぜか慶應だけ声をかけてくれた。
とりあえず見に行くだけ練習を見に行って、いきなり400プラス100やって吐いて笑

でもとりあえず、環境情報学部の存在を知って陸上関係なしに入りたいと思ってた。
プログラミングとか自分のやりたいことが全部できるって。
でも体育会で陸上を続けることに関しては、なかなか踏ん切りがつかなかったよね。
親にも経済的にも負担かけちゃうなと思ったし。
2年の冬にあれだけ目標を持ってやってたのにそれが春で一瞬で壊れて、どれだけ報われないスポーツだよとも思って。だから競走部が絡むAOは断って、個人的にAOを出して高校の先生と準備したらく受かった。

入部前に六大を見に行ったんだよね
まあ、陸上に引っかかりがあって離れられなかったんだろうね。
じゃないと試合見に行ったりしないし。
金稼いで好きな物買ったり、フットサルサークルでぬくぬくやるのも良いなと思ったんだけど、六大を見に行って400も見て、わいてきたものがあるというか。
マイルもすごくて、応援席の盛り上がりもすごかったし、陸上って良いなって思っちゃって。
高校がああいう終わり方で良いのかなって思いはあって、本当にトラウマレベルだったから。
大学でならこれを払拭出来るんじゃないかと思って。
そういう感じでやる気になって競走部に入ることを決めた。

大学1年の関カレでは一緒にビデオ係やったよね
うん。すっごい感動しちゃって。どの試合もおもしろかったし。
関カレを見て、本当に大学で陸上を続ける決心はついたかも。
四年間通してきちんと大学でやれば、高校の時みたいに不完全燃焼で終わらずに済むかな、成仏できるんじゃないかって思った。

大1のシーズン
高校は、一年の時は先生がメニュー出してくれてそこで陸上の基礎を知った感じ。
2・3年生は同期が考えてくれたり、、、
でも考えるのは好きだったし、この競走部の雰囲気は良かったと思うよ。
大学のスタイルはスムーズに移行できた感じ。
関カレ見てたら走りたくなって出た初レースの200は23”55。
ひどかった笑
だから春先にはサーキットとか長い距離走ったりしてた。戻すにはこれしかねえ!みたいな。
秋に9秒前半くらいまでには戻せたけど、とにかく一年目は戻すことに精一杯だった
でも1年目の全カレでは、キムチさんがにくって、横田さんも日程的に走れなくて、補欠の補欠の俺が走ることに。
小島さん・廣瀬さん・三浦さん・俺で。

日本選手権リレーはもともと正選手で、関カレで憧れたチームの人と走れるって思ったのに会場来たら横田さんが怪我で走れくて、しぇーって感じで笑
感覚としては48で行ける気がしなくて、出て49かなって。
9秒台でこの試合に出る選手なんてほぼいないから、、、、、
何人に抜かれた覚えてないよ。自分がふがいないなと思ったし。
もっと頑張んないといけないな、これが大学かあと思いましたね。

2年目
今年こそは勝負したいなと思って、とにかく1年目はアベレージが9秒前半くらいだったから関カレ標準も切らないで何がマイルだよ!って。
だから標準切りの為にとにかく試合に出た気がする。
でも横浜市民、東京選手権でもキムチさんに負けて。
思えば、そういう風に若い子たちの猛追をかわしてたキムチさんてすげえなあー笑

で、最後の最後で関カレ標準切ったんだけどその年はキムチさんが出た。
2年の関カレのマイルは自分の走りができなくて、、、
でもチーム状態としては良かったと思う。
関カレ標準を切ってるメンバーで全員揃えることができてたし。
その時はたしか0.3秒足りなくて中大に負けて4位だった。
他大がバトン落としのが想定外だったけど、0.3秒で表彰台に上がれたと思うと自分のところで縮められたじゃんと思って。結果論だし、レース展開もあるんだけど。

全カレは7位だったかな。
全カレ決勝いけたのも10年ぶりだったらしい。
3’07”77が当時の塾記録だったからそれを切ろうぜ!みたいに盛り上がってた。
でも結局3’08代だったのかな。
その後の日本選手権リレーも8位入賞できたし。
そういうリレーの主要大会3つで良い結果を残せてよかったと思う。

2年の冬ってにくってた??ゆうきに怒られたり、リハビリを受けてる姿を良く見た気がする。
単純に寒くて、普通にアップ不足だったんだと思う。
雨の日の60短ダッシュかな。その前のジャングルとかから足がうずうずしてて兆候はあったんだけどね。
で、冬季は趣旨を変えて体作りとか、その辺からジムにもいきだしたりして肉体改造に励んだ。

3年のシーズン。
初めての3関カレ個人種目

ようやくだ!って感じで胸を弾ませて、でも8秒8くらいで走って、、、、
結局マイルが頭にあって、勢いづけられなかったかなあって感じ。
個人で勝負できなかったのは残念で、その年は廣瀬さんが優勝したんだけど、それ以外の決勝得メンバーが全員同学年だったから悔しかったなあ。
緊張はしたけど、、、でも上手く望めた気がする。
前の年に標準は切ってたし、4月の横浜市民でベストも出てたから。
一年生の茅田もでるし廣瀬さんも出て、B標準だったからあたって砕けろじゃないけど失うものは何もないって感じで上手く望めたかな。

関カレのマイルは優勝だもんね
でもその後は天国から地獄に落ちたよね笑
まあ、色々あったよ。色々あるシーズンだったけど学ぶことも多かった。

その学んだことは??
自分の目標にしてた高校の亡霊を成仏させるってことは、マイルで1番を取ったことでできたのかなって。
大きな大会で金メダルなんて初めての経験だからそれはすっごく嬉しくて。
高校の時に一緒にマイルメンバーを組んでたやつも応援に来てくれて、レースが終わった後控えの場所にも来てくれておめでとうって言われて、それで「ああ成仏できたかな」って。

全カレはチームとしてしっかり準備して望めなかった。
自分自身、夏場に腰痛めちゃって、選考レースの試合も痛みどめ飲みながら走って49かかちゃったし。
関カレで優勝して、本当に全カレ制覇が見えてるチームだったから。
結局メンバーには選ばれたけど、春山とかも調子良くて下からも良い流れが来てたし、自分がベストな状態に持っていけず申し訳ないなって。

パーチとして初めての試合となった、3年の日本選手権リレー
そこでみつおがすごく悩んでた姿を覚えてます。
選手選考で気をつけてたことなど

色々、不測の事態があるから柔軟に考えないといけない。
何々の大会に出て選考って、がちって決めてもそれはそれで不測の事態が出てくるし。
怪我人で足りないとか、タイムを標準にしても上手くいかなかったり。
それは日々選手とコミュニケーション取ってくしかないと思う。
自分だけじゃなくて皆の練習の調子を見るようにしたり、トレーナーに怪我の状態を聞いて把握したり、。
優秀なトレーナーがいるからさあ!!
まあ、しっかりコミュニケーションを取ってくしかないよ。

パーチとして一年間自分的にどうでしたか??
結果論だけど、、、、正直失敗したなと思ってる。
全ての試合で決勝に残れてないわけだから、それは成功したとは言えないよ。
全カレで誰も個人で出てない、マイルも決勝に残れてない、そういうのって今年くらいじゃない?
そういう意味で、俺の時に流れを止めちゃったというか、、、、
小島さんの代からしか俺も知らないけど、そういう強い慶應を見てきたから、慶應のマイルは終わりかって思われるのは辛いし、、、、
そういうところで責任を感じちゃてからまわっちゃて、そこだけは本当に心残り。
周りからも遠まわしに今年は期待してないって言われたり、今年は後輩への経験だねって言われたりすると、、、、、もやもやするよね。
上手くチームをまとめて勝負したい・点を取りたいって言う自分と、今後伸びるだろう後輩たちへの経験だねって言われるギャップに苦しんだことはあった気がする。

ラストシーズン
やっぱり、変な意味でパートチーフとしての責任を感じすぎちゃったかなあ。
早慶戦で48”51のセカンドベストは出たけど、、、
セカンド、サードは5回くらい今シーズンはだしてるのかな。
でもどうしてもベストがでない。
突き抜けることができない自分がいて。
練習は試行錯誤はしてたけど、、、、、
でもシーズン始まって4年になって変えることはできなかったから、調子を落とせなかったし。
だから走りを根本的に変えることはできなかったなあ、、、、
まあ、色々もやもやしたシーズンでした。

練習で意識してきたこと
イメトレかな。自分が思ってる走りに近づけるというか。
自分が走っている所を100刻み、50刻みで分けてそれを自動化させるというか。
それを精度を高くしっかり試合で出すっていうのをやってる最中。

廣瀬さんを見てても思うけど、大学に入ってイメージって大事だなと思って。
練習で何かメニューをやるにしても、自分のしたい動きのイメージをしたからするとか。
SFCの授業でもやってたけど、大舞台で力を発揮するためには会場の空気とか招集はどういうので、、、、、みたいにイメトレするが大事らしくて。
日ごろからいろんな面でシュミレーションしとけば、いろんな面で力を発揮できるのかなって。
イメージを現実のものにしていく作業と言うか。
高校みたいに何もしてなくても伸びる段階じゃもう無いから、人の良い部分の盗んで自分のなりたいイメージにどれだけ近付けていくかを意識してます。
あとは試行錯誤だよ。ああいう入りをすると自分はつぶれるのか、ならどうしようかみたいに。

おういえば、短長ノート消えたよね笑
そう!そうなんだよ!早慶戦で初めて早慶戦で終わるはずだったのに!

今年見た記憶ないもん笑 途中から春山しか書いてなかったし笑
冬季空けたらもう消えてたんだよ笑

やっぱり、振り返ると四年のシーズンがいちばん辛かったね。
PBが出ないことの辛さ、あとは自分の立場を意識しすぎた。
やっぱり廣瀬さんを見てたからかもしれないけど、廣瀬さんみたいに自分がなることはできなくて走り以外の面で引っ張らなきゃと思っちゃって
自分が記録を出さなきゃとか、引っ張らなきゃって思いがあって。
勝ちたいと言うよりは負けたらだめだみたいな。
負けたらだめだって完全に守りに入ってるよね。
まあそういうのを意識しすぎたかな。それが失敗だったと思う。
出来ることなら自分がベストを出してチームが決勝とかに残れるのがパーチとして一番のあり方だけど、、、、、
そういう所が怨念かな。

新たな怨念だね
まあ、あとはチームの中で点を取れなかったのが本当に悔しかった。
短短・フィールドがあんなに点取ってるのに、短長は全くとれないかあ、、、みたいな。
チームにもパートにも申し訳なかった。

日本選手権リレーで引退??
運学生としては最後。
競技者としては来年出るとしたら、東京選手権で池田・増田・岩永をぶっつぶす。
で、東日本実業団と全日本実業団は出たいなと。
全カレも個人で結局標準切れなかったし、全国大会に個人で出たことないなと思って。
全日本実業団って形ででも出てみたいなと思ってる。
しかも来年の実業団の開催地が、高3の時に行けなかったインターハイが開かれた熊谷でやるらしくて。
仕事始まってみないとわからないけど、自分が走れなかった舞台だから行ってみたいなと。

みつお、ありがとう
私は1年の関カレでみつおと一緒にカメラ係をしていたので、翌年にはあの時隣で興奮していたみつおが実際の舞台に立てて本当にうれしかったのを覚えています。
パーチとして今年は色々な重圧を感じているのは、こちらから見ていてもわかりました。
たしかに点をとることやマイルで上のラウンドに進むことはできませんでしたが、短長の後輩たちはみつおパートチーフの頑張りをちゃんと見ていたと思います!
過去の結果を見ても、マイルは慶應の一つの看板です。
今年の公式戦は上手くいきませんでしたが、より高く飛ぶためにより低く屈まなければいけない期間だったのでしょう。

みつおが高校からかなりの思いを持ってきたマイル。
今日はそのラストレースです
みなさん4:35には是非日産スタジアムに駆けつけて下さい!!

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