4年間のコトバ  横田将大(総4)

800m 1’50’76 、1500m 3’52’83
これ、誰のタイムかご存知でしょうか??
間違いなく競走部一、辛酸をなめてきたこの人のタイムです。
まだまだ競技生活は終わりませんが、一つの区切りとしてこの4年間をのぞかせてもらいました

横田将大(総4)     中距離パート

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いつから陸上をやってるんですか??中学バスケだよね?
中学がバスケで、高1の10月24日から陸上部に。
バスケ部を辞める時に理由が必要だったのと、全中行ったやつに高校入ってすぐの体育で勝っちゃって高1の時から陸上部に中距離でめっちゃ勧誘されてて。
まだバスケ部だった時に「辞めたら入ってやる」って冗談で言ってたのを覚えているやつがいて、「バスケ部辞めたん?じゃあ入って!」ってなった。
そういえばハンドボール部にも結構勧誘されてたな。

チームスポーツから個人競技の陸上に。そのギャップとかは?
ギャップはあんまり無かった。
バスケはしたいけどここでは出来ないって辞め方だったから、それよりもバスケに対する未練で辛かったね。

陸上部にいきなり中距離として入って
関東の強豪校みたいな感じじゃないけど、四国ではマイルとか800とか強かったし。
高校で伸ばしきるような指導じゃなくて、あの顧問の先生のおかげで陸上を好きになったと思う。

高校時代に留学もしたんだよね??
陸上やるって言ってバスケ部を辞めたけど、留学もずっと考えてた笑
準備とか手続きとかがあって、出発は高2の夏のインターハイ後。
高2の秋に陸上部に入ってから留学までの半年間でインターハイには進めた。
一年留学して戻ってきて、もう一回2年生になった時は(普通の高3)800で準決勝まで。
怪我とか熱中症とかで試合前二カ月走れなくてだめだったけど。
高校のベストは1’54”58だった。

大学では慶應でガチで陸上を続けるつもりだったの?
バスケへの未練とか留学とか2号はいろんなことに興味がありそうだけど、、、、、

アメリカ留学も本当はバスケがしたくて。
アメリカ行ってバスケで大学に行けたら良いなって思ってたし。
でも留学中もやってたけど、留学までの間に時間を有効に使おうと思って始めた陸上競技が思った以上に面白くて。
幽霊部員だった時期もあったけど、部活に行き始めたら楽しくて。
それからはもう、陸上の方が本気で続ける分には楽しいやと思って。
そっからは何の迷いもなく、大学でも陸上を続けるつもりでいた。

海外の大学も興味なくは無かったけど。東大に入れるなら入りたかったけど性格的に無理で、日本で陸上続けるなら慶應か早稲田かなと思ってた。
慶應には横田さんがいて、名前も似てるし背丈とか体格、種目も一緒で勝手に親近感を感じてて笑
まあ、いざAOをうけたらそんなに甘い試験じゃないってことはわかったけど、真面目に準備して自然になんとなく慶應になったというか。

入部当初の目標は??
漠然としかなかったけど。。。
とにかく足速くなりたくて。
横田さんとかおったし、あの人にちょっとでも追いつけって感じかな。

2号の1年目
1’54後半くらいでは走れたかな。
最初は皆そうだと思うけど、とにかく速い奴と走れば早くなると思ってて。
横田さんと走れば追いつけるものだと思ってたからできるだけ一緒に練習をやってた。
日本一の人がやってる練習だったら当然日本一だと思ったし、それで行けるところまでいけると思ってた。
でも当然そう上手くはいかなくて。
1年目のアベレージは800が2分くらい。1500も4’10とか。
めちゃくちゃ遅かったよ。
だからあれ??って思った感じかな。
特に大きな怪我もなくやってたけどね。

2年目の夏は毎週連続とか、めっちゃ試合出まくってたよね。
うん。夏は全カレ標準切りたかったから。
その年は一年で30本くらいは800を走ったかな。

2年は関カレは予選落ち、全カレは準決まで
はたから見たらどう見えてたかわからないけど、その時は1’52くらいは今の走力で条件が合えば出るって確信があった。
毎週試合出てたけど、走力を上げる必要はないからとにかくキープする練習だけをして。キープができてるうちは試合に出続けて、ダメになったら休んでまた練習して出ればいいって感じで。

2年の秋に800の日本選手権標準切ったよね。その勝因は??
1年の秋くらいに「横田さんと一緒に練習してるのに伸びないのはなんでだろう」と思うようになって。
具体的に何かアクションしたわけじゃないけど、そこから色々考えながらやってみたのかな。

なんかその辺から、1人で練習することが増えた気がする
うん。それまでは一緒にやれば速くなると思ってたけど、どうすれば速く走れるかとか、ここをこうしたらどうなるんだろうとかもっと自分から速くなる方法について考えたり、仮説立てたり、試してみたりするようになって。
高校の途中から陸上を始めて、それまでは何の疑いもなくそこにあるメニューをやって速くなってきたてたから。
その時に試したことが上手くなったって感じかな。
仮説が良かったから、相当良い練習ができてたんじゃないかな。

3月の地震があったらへんも1人で300のエグ練習とかやってて。
でもその辺で足痛めてきたよね。沖縄合宿も結局走れなかったし。
冬から3月らへんにかけては??

3部練が多かった。
部活では皆と一緒かそれ以上の練習をして、それ以外の所でも大分走って、筋トレもしてたし。
まあ、一日中、朝5時くらいに起きてジョグして寝てご飯食べて練習で走ってご飯食べて帰って昼寝してまた走るか筋トレして飯食って帰って。そんな毎日だった。
反省点としては、怪我がそれまでなかったから俺は怪我しないだろうって勝手に思ってて。練習は人より倍やったけど、ケアは人よりやってなかったし。
後はケアだけじゃなくて栄養も伴ってなかった。
引っ越した先の環境が、学生が生活するにはあんまり良くなくて、、、、、
まあ、でも根性入れてやればできてたかな。
まあ甘かったね。認識が。でもやったことなかったからとにかく予測がつかなかった。

今でこそめっちゃ体を気にかけてるから、そういうイメージがあんまないなあ
してなかったね。自分はアイアンボディだと思ってたから。
あの時から平野とかぐてぃとかは慢性的な怪我してたけど「そんないつも痛い訳ないやろ、根性ないだけやん」みたいに思ってて。
でも自分が痛くなって初めて、本当に走れないことってあるんだってわかって。
基本的に中学の時から根性とかで色々乗り切ってきたから、、、、
根性と才能がスポーツの全てみたいに思ってるところがちょっとあって。
それが色々考えるようになって、大学入って何年かで変わったから。
まあこの短期間でこれだけ変わったから、また一年後とは全然違うことを考えてるかもしれないけど。

3年の春に、静岡国際のエントリーや宿泊どうするとか日本選手権どうするって愛媛に帰ってた2号に電話したの覚えてるんだけど、、、、その辺りはどんな心境だったの??
その頃はすぐ直ると思ってたから、あんまりネガティブじゃなかった。
冬にやってきた練習に自信持ってたから全然焦ってなかったし、怪我さえ治れば3ヶ月くらいで秋には絶対記録出ると思ってて全然焦ってなかったんだけど。。。。
でも、、、、、、何しても一ミリも良くならないし、なんせそれまでこういうことを経験したことなくて、捻挫とか骨折みたいに目に見える怪我じゃなかったから、、、、
で、四か月くらい経った時に「これ一生治んないんじゃないか」ってちょっとパニックになった。
その時期って全カレとか国体予選とかがあったから。

結局3年のシーズンは日本選手権しか走らなかったんだよね
あれはね、、、、まあ出て良かったと思ってる。雰囲気だけでも感じたかったから。
エントリーはしてたから、静岡国際とかはマネージャーの代わりとして行ったね。
あの頃は歩くのどころか、立ってるのも座ってるのも痛かった。
寝てる時以外に痛みを感じない時間が1秒もなかったね。
そういうのが続いて3ヶ月くらいは前向きに頑張れたけど、4・5 ヵ月目に入ったら「あれ、全然良くなってない、やばいどうしよう」ってなって。
で、代が変わってパーチに選ばれて、走れなくて自分のことで精いっぱいな俺がなんでパーチなんだって。
それは自分にとっても周りにとっても良くないと思って、相当沈んで。
でも色々あった後に気持ちの切り替えはまだできなかったけど「じゃあ、やります」って言って色々アクションを起こしてく中で、走れなくて皆と一緒に練習できなくても競技で引っ張れなくても、色々できることはあるって気がついてきて。

パーチになる前も、2号は色んな人に声かけてた気がするけど、、、
怪我する前はしてたけど、怪我した後はそういうことは減ったと思う。
そういう所を見てパーチに選ばれたんだとしたら、それも忘れてるくらい自分のことで精いっぱいだった。
今言われるまで覚えてなかったし。
まあ、競技ができなくても居場所はあると言うか、部への貢献の形はあるんだっていうのがわかったかな。
練習もできない、公式戦も出れない、記録会さえ出れないパーチだったわけだから。
まあ、その気になれば走る以外は何でもできるって思ったし。

そういう時期に部活から離れようと思ったことは??
ないね。パーチになって辞めようとは思わないし。
一度も、全くない。とにかく治してまた走ることしか考えてない。
それが今もあるからここにおるし。

4年の春先くらいにちょっと走れるようになった??
あれは、もう一年作る選択肢は無いって前提だったからやってた。
4年生で結果出して絶対どこかに行くって思ってたから。
留年とか大学院とか残るとかは最初の選択肢に無かったから、それで生きてくって時に最初は就活しか選択肢が無かったから一応就活もしてたかな。

4年生のシーズン
試合にも少しずつ出るようになったけど、、、
トータル10回くらいは試合に出た。SBは1500が4’00”06、800が1’54”55.
1年半くらいブランクが空いて、4月から9月頭までちょっと走れるようになった。
その4カ月のうち2カ月は足痛くて走れなかったから、実質2カ月でそこまで走れるようになった。
でも、結局これは全部直さないと自分がやりたい陸上ができないと思った。
まあ、全カレ標準くらいならそれくらいやればすぐに切れそうなのはわかったし。
陸上始めてそんなに長くは無いけど、今までやってきたこととか走れなかった2年間自分は何もしてなかったわけじゃないし、競技力のあるなしに関わらず色んな人の話を聞いたり他の人にアドバイスしたり、本読んだり色々調べたり、本当に色々試してきてきて自分が走った時よりも明確かつ試してみたい仮説が沢山出来たから。
それがあんまり間違ってなかった、少なくとも前より良い方向で競技力向上について考えられているってわかったから。
ただ、本当に足を治さなきゃって言うのを痛感したよ。

だましだまし、じゃダメなんだね。
うん。だってやりたい時にやりたい練習ができるとは限らないし

今みたいに、走れない時ってどういうことをしてるの?
その時その時で本当に出来ることをする感じ。
これくらい痛い時はこれくらいまでならできる、みたいな。
で、俺は絶対に失敗したくなかったから4年の4月の段階でめっちゃ綿密な計画を立てて、それがすごい余裕持って作ってたのに結構スライドして。
それくらい足の調子に左右されることに戸惑ったけど。
走れない日は他の人の走りを見たり、アドバイスしたり。
まあー自分のことはあんまり考えたくもなかった笑

2号が声かけてくれて助かった人、沢山いると思うよ。
俺が足いつ治るのかわからないのと一緒で、自分がいつ足速くなるのかわからないやつも一杯いるわけで、悩みは違うけど同じような不安があるのは一緒で。
そういう奴に必要なのは「大丈夫だよ」って言ってくれる人だったり、本当に大丈夫なことを証明してくれる人だったり。
まあ、そういう一緒に頑張る人が必要で、でもこの組織にはある程度競技力のある奴に対してはそういう存在は沢山いるけど、ある一定のレベル以下の人にはそういう奴がいない場合が多くて。
俺も一時期そういう立場にいたからわかるけど、そういうのを自分で乗り越えられるやつは良いけど、、、、、
この部活に他の人に関心を持てるほど自分に余裕のある人は少なくて、俺は走れなくて余裕があったからじゃあやりますよって。
それを感謝してくれる人がいるのは嬉しいことだけど。

でも中距離パートチーフとして中距離にはそういう奴を1人も出したくなかったから。
俺がパーチで良いことも悪いこともあったと思うけど、一番よかったのは皆が楽しそうに陸上を出来てるパートにできたことだと思う。
まあ、もうちょっとね。自分が競技で引っ張れたり、4年生が競技で盛り上げられたら良かったんだけど、、、、、
でもコーチのいない環境で、競技力の高い選手も低い選手も一緒に楽しく練習できてるっていうのはすごいことだと思うよ。

幹部として、うちの部活の長所・短所
悪いところは、、、、、怒ってくれる人がいなかったり、言いにくいことを言ってくれる人がいなかったりする所かな。他人に厳しい人でも自分には相当甘かったりもするし。
自由に伸びれるがために、本当に必要なことや本質、例えば足が速くなるためにきつい練習とかしたくないことが必要だとしてもそれを避けて通れるっていうのが良くない。
それは部の運営面とか雰囲気とか人間関係にも反映されてて、それが結構良くないんじゃないかな。
確実に良いと思うのは、真剣にやってれば必ずどこかで壁にぶつかって、その時にどうすれば速くなれるのかっていうのを自分の頭で考えられるようになること。

他の大学ってそうならないの??
真剣にやってれば普通、皆なると思うけど。。。
この部活だってならない人はならないし。
でもそこにぶつかった時に、何十年も陸上に携わった知識のある人はいないから自分たちだけで何とかするしかなくて自分で考えるウエイトが高いから。
雑草みたいに好き勝手な方向に伸びていけるというか、型にはまらない発想ができたりするのが良いと思う。

目標としている走りや選手
大森も言ってたけど、こないだドーピングで捕まったモロッコのラルーって選手と元ケニアで今アメリカのバーナード・ラガト。元800の世界記録保持者のエルソン・キプケテールとか他にも何人かいるけど、、、あと、エルゲル―ジの走りも好き。
その速い選手達は、共通点も違う所もあるから難しいんだけど。
でもラガトが一番好きかな。
こういう走りがしたいってビジョンはあるけど足や腕の長さが違うし、全部はまねできないけどできる部分はあるし、そういう所は常にまねようと思ってる。
皆やってると思うけどyoutubeをエンドレスで流したり、トレーニングとか食べ物とかコーチの名前とか、ググれば盗めるとことは盗めるし。

最終的な目標
あんまり具体的には言いたくないけど、、、、
まあ、とりあえず後四年間はやりたいよね。
まず、足を治すこと。そっから場合分けが始まる。
後一年で治らなければ、ちょっと厳しいかもしれないし、足さえ治って不安なく走れれば4年間はやりたいと思う。
まあ、自信が無ければ続ける選択肢なんてしないよ。自信がなくなった瞬間辞めます。
とりあえず半年、時間を買ったてことは一年半はやれるってことだから。
まあ、無駄なことに時間使うのが一番無駄だから可能性が無くなった瞬間に辞めるのが一番だと思うけど。
でも、やっぱ一番好きなことを少しでも長くやってたいし。

今、足はどんな感じ??
昨日と比べると何も変わってないけど、一週間とか二週間前を思い出すとちょっと変わってるって感じ。
それがずっと続いてる。
今は足を治す努力をとりあえず思いつく範囲でやってて、それと一緒に体作りや食事とかケアは必要ないと今まで思ってたけど必要性をすごい感じたから。
そこの面で勉強したり、できることをやってる。
それで成果を出すのが今の身近な目標。それがあるから今前向きに頑張れてるっていうのもあるし。
とりあえずリアル、アイアンボディになるのが身近な目標かな。
あとは全ていつ足が治るかによるよ。

標準切れないとどうしようもないもんね。
うん。最後にどこに行きたいかとかはあるけどね。

前にちょっと聞いた気がする
その時とほとんど変わってないよ。変わった瞬間、本当にやめるつもり。

二号、ありがとう
私なんかが理解しきれないし、このインタビューだけじゃ書ききれないのが二号の四年間だったと思います。
中距離以外の後輩たちも、怪我や練習に対する考え方など為になる話が聞けると思うので何かにつまずいた時は是非話を聞いてみて下さい

個人的に、二号は本当に活躍して欲しい選手の1人でした。
二号を筆頭に私の同期は競技に対してアツすぎるというか、高い所をみている人が多かったので、そんな皆の存在がコーチでもトレーナーでも主務でもないマネージャーの自分が、本当に競技に絡むにはどうすれば良いのかを考えるきっかけの一つとなりました。
この機会にゆっくり話せて、オフレコも含めかなり壮大な目標も聞けて良かったです。
競技を続ける他の同期同様、これからもずっと応援しています
とにかく早く足が治りますように!今はただそれだけです。
そして引退したら多分、私はひまひまひまなので笑、こそ練をする際にはいつでもマネージャーとして使って下さい笑

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