4年間のコトバ  木下雄登(薬4)

木下雄登(薬4)  長距離パート

木下

いつから陸上やってるんですか??
中学から部活で。でも、もともと中学では数学研究部に入ろうしてた。

え!?なにそれ笑!!
おそろしいよね笑 今でも恐ろしく思ってる笑
今は廃部になったらしくて、本当に良かったと思ってる笑

なにするの!?ドリルとかひたすら解くのかな??
わからない。気の迷いでしかないよね!信じられない!!
中学受験は数学だけで受かったっていうくらい、当時は数学が得意で頭おかしくなってたんだね!
もとからおかしかったのかもしれないけど!笑
信じられない!!信じられない!!
で、そっから俺の消去法人生が始まったの!

知らんわ笑
≪木下、自分の消去法半生をつらつらと語る。長いので省略&要約!≫

、、、、、、、、そのせいで楽に暮らすって人生は淘汰されて、、、、、数学研究会も無理で、球技苦手だったし、でも何かやろうと思って陸上部にしたの。
あと、部活のほかに中2の時に町の陸上クラブに入った。それが大きかった
部活と半々でやってたんだけど、そこの先輩が亜細亜大と法政大学で箱根駅伝を走ってて、箱根駅伝の大手町のゴールも見に行ったりしてたし、なんだかんだその頃から箱根駅伝っていう舞台へは興味を持ってた。
高校でもそのクラブと部活の両立をしてて。
高校の時は都大会決勝で終わって、予選では良い走りで来てたんだけど決勝が、、、、
それがやっぱり悔しくて大学でもってなったのかもしれない。
高校でまだやりきってないって。

競走部への入部を決めるまで
理科大か慶應かで迷ったんだけど、慶應の日吉グランドに来た時にこの風景に圧倒されて。
初めて消去法じゃなくてすごいなって思って、俺の消去法人生を終わる時が来て笑
薬学部だし、忙しいし、どうしようかなとは思ったんだけど、入ってた陸上クラブに澤田さんていう競走部のOBさんもいらっしゃって色々話を聞いてたし、澤田さんていう高校時代からすごい尊敬していた人がパートチーフを務める慶應の長距離でやってみたいなと思った。
あと松浦さんがいたっていのが大きい。薬学部でもやれるんだと思えて、後押しになったのは間違いない。
同じ代に齋藤とか強い選手がいるのも大きかったし、他のパートがおそろしいくらい強いじゃん。
やっぱそういう常に尊敬できる人の中で出来るのが良かった。
その中でできたのは財産だと思う。

一年目&二年目
高校までは結構しっかりコーチが見てくれてたから、その経験がなくて新しく自分でメニューを建てなきゃいけないとかが難しくて最初はつまずいた。
そして大事なのは、木下は一年の予選会を走ってますってこと!
これは意外と盲点だから!

記録会もふくめて初めて大学で走った試合が、1年の予選会
今じゃ考えられないような結果だけど、でも割と良いタイムで走れて、やっぱりそれは俺の才能というか笑
でもやっぱり才能ある物ハンデも負わされると言うか笑
喘息が本格化してきたのが一年の秋、予選会の一ヶ月後くらいに現れて。
それでちょっと苦しくなって「おや?これは何だ?」と。

それで喘息を克服しながら走るようになって、2年の時は金子さんの次くらいに走れるだろうって感じだったのに、自分の体調管理不足で選考レースの日体で失敗してエントリー選手に入ることができなかった。
すごい風邪ひいてて今だったら来るなって感じだったんだけど、自分が応援されるのに人を応援しないとは何事だと思って早慶戦の応援にきたら翌日の日体が死ぬほどダメな走りになってしまった。

まあなんとでも言えるんだけど、予選会後の記録会でも今までの人生で一番走れる状態だったのに3日くらい前に喘息が出て走れなくて。
だから2年の時は風邪と言い、ぜんそくと言い不運は2回くらいあった。
それでちょっと続けていくのは難しいんじゃないかと半分くらい思い初めて。
走る走らない関係なく、喘息がひどくなっていったからね。

薬学部の授業とかは大変じゃなかった??
夜遅くに1人で走ってたの覚えてるんだけど。

薬学部が大変になったのは3年の前期。
地震の関係で授業やテスト期間がタイトになって、詰め込んで勉強せざるを得なくなって。
あの時期もまあまきつかったけど、喘息とかは関係ないな。
その時期は、結構1人でやっちゃて1人だけの考えで止まってた。
平塚さんとか先輩がせっかくいたから、その時期に色々な人と話せてたら自分の陸上に対する考えは変わってたかなと思って、それが残念だなと思ってる。

3年のシーズン
春は怪我してたからジョグばっかで、医学部とかの大会には出てた。
夏から喘息が出始めて、合宿で上手く練習が詰めなくなった。
3年で上手く走れなかったら陸上を辞めようと思ってた。
辞めようかなっていうのは夏合宿は毎日思ってたと思う。
朝起きると喘息がきつくて、朝ペーまで行くのも苦しくて。
何とか走ったこともあったけど走れないこともあるし。
朝は今でも怖い時はあるよね。特に夏とか冬は。
でも昼間は落ち着くから平塚さんとも話して、やれる時にやりますって感じにしてた。
平塚さんも理解はしてくれてたし。
で、やってみて自分でも納得できるタイムが出る時もあったけど、やっぱりこれはどうしても競技を続けられないって感じに8月くらいになり始めて。
9月頃は走れたんだけど、これはどうかなって感じになって。

そもそも競走部に入ったのも、箱根駅伝っていうのがあったから。
そこで慶應っていう大学のチームに貢献できないかな、願わくばチームで出れないかなっていうのがあって。
やっぱり自分は箱根駅伝のことしか基本的に思ってなくて、3000SCとかも興味無いし、関カレとかも当然応援は真剣にやるし、もちろん出たいっていうのはあったけど、それよりは予選会への思いの方が強かった。
だから長い距離中心にやってきたし。
だから走れなくなるって言うのは自分にとって存在意義が無くなるようなことなんだよ。
それを目的にやってきたんだし。
喘息で並み以下の走りしか出来ないってことは、自分としても限界だなって思って。

それがあって、3年の9月24日の予選会エントリーの日体選考レースで、俺は選ばれることは無いからこれを最後にしようと思って3‘30で刻むレースをした。
あいつやるきないだろって思われたかもしれないけど、それが限界で結局35分一ケタだった。
レース後はこれで自分の陸上は終わったと思って、青いタータンに礼をして予選会終わったら部活を辞めようと思ってたんだけど、、、、、

で、俺は悔いなく引退したと思って。
ただね、予選会当日はチームから逃げるかのようにしてたけど、、、、
ただ実際本当に苦しくて、授業受けてる時でも相当苦しい時もあったし、大げさに言うと死ぬかもみたいな。
それで陸上をやることが嫌になるし、陸上を続けても自分の目的には達成できないなと思ったし、サポートするために入ったわけでもないしと思って。
サポートっていうのは自分の中では野球部とサッカー部みたいな、方向性が全然違うものだったし。

予選会が終わって、増田さんとか佐野さんには「辞めるんです」って言ってて。
もちろんチームのことを考えて予選会前には言わなかったけどね。
チームの雰囲気悪くなるから予選会が終わってから絶対言おうと思ってて。
で、これで部活も最後かって思って立川を去って、そのちょうど翌日にゴジラと大森に「選手としてやってくのは体的に無理だし、走れたとしても記録も出ないし、サポートは自分の中では違うし、ちょっとやめようと思う。」っていうのを言った。
そしたら、齋藤が残ってくれって結構言ってくれて。
でもマネージャーをやってる自分が全く想像できなかったから。マネージャーは自分の中では違くて自分の中でかなり考え方を変えなきゃと思ってたから。
それで自分はもうやめるわっていうのも長距離の同期にも言ったんだけど、、、、
そこでねー 神田さんっていう方が登場して引き止めてきて。
「ここで辞めたらだめだよ」みたいなことを言ってくれて、、、、、
まあ、若干神田さんの勢いにのせられて首の皮一枚繋がった感じ。

さすが神田さん
前にも誰かが辞めようとかちょっときついと思ったりした時に、神田さんがすごい気付いてくれたり声を掛けてくれたって聞いたことある
まあ、俺は部活辞めたら合宿所も辞めることになるから神田さんに話したんだけどね。
勢いで残るかってなっちゃったけど、自分の意志の弱さもあったのかもしれないけど、俺としてはそのことに納得してるというか。
でも残るとしても選手は無理で、そこはまた消去法でマネージャーってなったんだよね。
トレーナーも無理だしさ。
でも自分の中では「長距離を、箱根を」って言うのが残ってたし、完全なマネージャーとして他のパートを見ていくのも後一年じゃ難しいし。
あっていいのかわからないけど、長距離だけ見させて下さいって言って。
それでマネージャーをやり始めたのは12月くらいかな。その前にガチな休養期間として1カ月休みをもらって
、そこで休んで暮らしを営む上には大丈夫な喘息になって、またやりますかねってなった。

でも、まあ最初はマネージャー業に対してやる気ないよね。本当に。
残ったのは箱根の為っていうのもあったけど、、、、最初の方は本当にひどかったと思う、自分があの頃何やってかも覚えてないくらい。
その頃はまだマネージャーも少なかったし、長距離計測を手伝うのは役に立ってるのかな?ってくらい。

一緒に伊藤さんのトレーナー講習会も出たよね
でたでた 。自分もそっちの方の可能性もあるのかなって思って
坂本達みたいにプロのマッサージじゃないけど、選手同士でやってた時の経験でマッサージはできたし。
あとは、齋藤に助言だったりをしたり、、、、
朝ペーだけは自分が必ず計ろうっていうのとか、新入生勧誘みたいに選手がやるのはだるいなってことも。
特に長距離は選手集めなきゃだったし。
あとは、一年生に色々教えていかなきゃっていうのとか、マッサージもやってたから怪我の状態とか把握したり。
で、だんだん周りの走りを喜べるようになっていったかな。
うーん。でも今思うと何やってたんだろうって感じだよね。
マネージャーとも仕事の話ができるようになって新しい環境も広がったし、その頃に合宿所に櫛田も入ってきてすごい楽しく話したりもして、周りもすごい受け入れてくれて。
でも結局それは遊びじゃないけど、今から比べると中途半端な楽しさだったのかなっていう。
別に部活じゃなくて学校の友だととでも出来るような。
とにかく戻ってきた最初の目標は、本当にチョンボをしないようにしようっていうただそれだけで笑

金森さんが来る前から新しい練習を取り入れてたから、今年の予選会は今までとちょっと違う物になるんじゃないかっていうのはあって。
まあ今年の3月くらいから普通のマネージャーになれたかなって思う。
要は、マネージャーの前半は何が楽しくてはるひとか古澤とかがマネージャーやってるのかわからなくて、めちゃめちゃすげえ人なんだな、相当心が豊かなんだなって思ってた笑
今でもはるひのこの部への積極性はわからない時があるし。
マネージャー4年やるとわからなくなると思うけど、やばいなと思うもん。
結局自分が出るわけじゃないしお礼言われるわけでもないのに、この頑張り具合というか。
その辺の感覚が全然わからないなと思って。
うーん。一緒に計測とかはしてるけど、まじり合えない異質な人達って感じだった笑
それが俺の中でマネージャー前半期の認識。

マネージャー後半戦
神奈川ハーフ、あれも景色が良いから行ったけどね笑
でもその辺りから選手のタイムとか考えるようになったよ。
今までにない、人のタイムを気にするようになったというか。
立川ハーフらへんで、長距離から見ればマネージャーらしくはなっていったと思う。
立川ハーフで門出とかうっちーとかが良いタイムで走れて純粋に喜べたし、選手全員誰が伸びても喜べるようにはなったと思う。

4年の4月はどうしてたかな。
特に特別なことはしてなかったと思うけど、でも長距離に関心を持ってもらうっていうの一つ自分としては持ってた。
長距離には予選会っていう長距離だけのイベントがあるから、そこで皆に関心をもってもらおうっていうのはマネージャーになって強くなって、facebookとかで選手の状況とかをあげたり、周りの人に興味を持ってもらうのは自分の仕事かなって思ってた。
実際、ぶっちゃけて言うとマネージャーとしてはるひとか古澤みたいな領域に近づけたとは思わないけど、マネージャーやってて純粋な意味で楽しいなと思えるようになったのはここ一カ月くらいかな。
金森さんが来て変わっていった、、、、

私も金森さんが初めて練習来た時にいたんだけど、「マネージャーもチームにすごい大事だからね」って言ってくれて、ちゃんとチームの中に位置づけをしてくれたのが嬉しかったな
自分がマネージャーをやってみて何を思ったかっていうと、マネージャーにもっと感謝すれば良かったっていう3年間だった。
本当に思った。それは後悔してる。
走り終わった後にお礼は言ってたけど、そんなものじゃないっていうのがわかった。
マネージャーがこれだけやってるのに、いかに自分が感謝してないかにマネージャーになって初めて気づいた。
帰るのが遅いっていうのは知ってたし大変だとは思ってたけど、やってることが全然違いすぎて選手だったらわからなかった。
そこら辺を感じつつも、夏くらいには慣れてきて。
あと、一年生マネが増えたのは嬉しかったよね。

なんか明るくなったよね笑
この後、人数減ったら長距離計測どうなるんだろうとか不安はあったから、最低二人は入れようと思ってたらなんかどんどん入ってきてくれて。
それでまさかもう10人以上マネージャーが増えてきてくれたのは良かった。
長距離計測は自分が走ってた分、こうした方がいいっていうのをわかってたから教えることもできて、自分にとってもマネージャーの一年生が入ってきてくれて刺激にはなった。
しっかりしなくちゃなと。
あと、やっぱりチョンボしなければいいって考え方はまずいんじゃないか笑
奮起しなければっていう笑
そこら辺から若干の変化はあったかな。
でも12月、1月は本当のクズだったと思って下さい!
ただタイム計って、マッサージしてましたくらい!

でも、この短期間でそこまで思えたのはすごいと思うよ。
まあーでもね。。。
でも考え方が変わる瞬間って絶対あるんだ。絶対。
今の子たちは来年の関カレ前とかになるんじゃないかな。
はるひ・古澤がいなくなった後に、ちょっと考えると思うよ。
任されたとだけやろうっていうのは絶対ダメで、、、、
やっぱ、どうすれば選手が一秒でも速くなるかを考えるんだよね。
それは特に予選会を前にして思う。
記録会だったらちょっと俺は気も抜いちゃうけど、予選会っていうこれだけ大きい試合となるとね。
今のマネージャーにもそういう瞬間が来ると思うよ。

その瞬間なんだよね。
そういう瞬間を作れなかったのが先輩として本当にだめだったというか、上の責任だなあと今本当に思っております。。。

あと、やっぱり選手と話すのは大事だと思った。ただただ無駄に絡むだけでも良いから。
それで仲良くなったやつは頑張って欲しいと思うし。
そういうたわいもない絡みがその人の為に何かしてあげようってなるんだと思う。
俺は長距離に対してちょっとずつそうなった。
だから玉井とか、坂庭とか最近2人で話し合ったりしてるよ。

でもね、私やっぱり早稲田とか、きのぴーみたいな選手上がりのマネージャーには敵わないなと思ったもん。やっぱり競技やってたわけじゃないから、気付ける部分が全然違うし。
でも、4年目とかになれば別だけど、そういう奴は最初はモチベーションが無いから。
そこまでの状態に持ってける監督がいるなら別だけど。
でも、本当にマネージャーだけなら早稲田に勝てるんじゃないかって思ったよ
伝統的に慶應のマネージャーは選手のことが好きだと思う。

マネージャートークから話を戻して、、、、、じゃあ金森さんが来てからは?
ずっと来てたわけじゃないコーチだから、結果の報告とかをしてた。
走る前に電話したり、結果をデータで送ったり、ミーティングをしきったり、走る前に電話したり、結果をデータで送ったり最初の頃は金森さんに言われた通りやってた。
最初は言われたことしかしちゃいけないんじゃないかっていうのもあって、そういうダメな感じで実際プラスアルファのことや新たにやるべきことを作ることはできてなかった。
やれっていわれたことをやるのが当たり前と言うか、それをやれば100%ではあるけど良いマネージャーは120%を目指すというか。
その100を越えていくためのことをするのは選手のことを思ってないとダメな気がする。
それでも実際なりたっちゃうからね。やってれば形としては成り立つし。
そこから選手とコミュニケーションとったり、給水の時に一工夫したりしたかな。
まあ、金森さんが練習時にいない分、選手がやばそうだったら止めるなり言われたメニューを減らすなりさせたり。
金森さんの意図も理解してきて選手のこともわかってきて、もうちょっとここまでやって良いのかなっていうのがでてきて。

今年の夏合宿で一番大変だったこと
齋藤も悩んだことだけど、チームを引っ張っていくことかな。
金森さんの意見と選手の意見がかみ合わない、そこの衝突をゼロにすることはできないし、衝突が無いっていうのは逆に選手が考えてないってことだからそれは良いことでもあるんだけど、、、、
まあ、でもその衝突は減らした方がいいから、それをどうしたら良いかって。
確かに金森さんのやり方は選手の意見を聞かなすぎた部分もあったし、例えば長島とかは長島なりの調整の仕方があるのに金森さんのやり方にその意見を反映できなかったり。
そういう部分はもやもやはある。
全員を一丸とした軸の中で練習することはできて、それで今年の夏は長い距離を走ってくれて、それは良かったんだけど、個人の意見を反映するのは下手だったなと思う。

金森さんが続けるかは分からないけど、来年はきのぴーポジションがいないね
金森さんは続けることにはなるんじゃないかな。
そう仮定して考えると、3つくらい引き継ぎを考えてて
一点目は記録をまとめてデータ化すること。今までもその仕事はあって、てっちゃんとか金子さんはしっかりやってくれてたけど、だんだんうやむやになって最近止まったこともあったから、マネージャーの仕事としてお願いするつもり。
上杉がかなりすごいフォーマットを作ってくれてるよ。

二点目は選手のケアで、これはトレーナーが結構考えてくれてて。
最近は減ったけど、俺が最初マッサージしてた時は怪我の部位とか状態を把握するようにしてたから、選手の怪我の状態を網羅している状態を作って欲しくて。
で、坂本からもそういう提案をしてくれてすごく助かるなと思ってる。
その2点は次に受け継げてるなと思う。
でも3点目の金森さんとパーチの門出を結ぶポジションがあんまいないんだよね。

見てると、あんまりマネージャーがやるって雰囲気じゃないよね
うん。。。。あと、合宿所員の方が望ましいっていうのもあるし。
まあ、濱松がかなりやってくれる気もするから、やっぱり門出を支えて欲しいっていうのを代が変わったらお願いするつもり。

予選会への意気込みを!
四年間でチームとして箱根に行くのはかなり難しくて、、、、
でも残したいって言うのはあるよね。
10年後とか時間はかかっちゃうかもしれないけど、いつか箱根に慶應が出てほしいっていうのはあって。
まあ先の代への他力本願になっちゃうんだけど。
でもそのために俺らは何するかっていうと、良い流れを作ってそれを下の代に渡すっていうのがあって。
そういう意味では今年のチーム目標「塾記録更新」は次の代、その先の代への刺激にもなると思う。
今回一番上の選手が学連選抜に行くっていうのももちろん大事だけど、やっぱり俺が一番重視したいのは塾記録更新!
それができたら泣いて卒業しますよ!

今後、自分の為の陸上はしないの??
あっ高島平ハーフ出るんだっけ(福島・私・木下で出場しようと盛り上がってたのに、木下以外はエントリーし忘れるという失態を犯してしまいました笑)
そう。石井さん達に抜け駆けされたやつ

ごめーんでもエントリー、私の分もしといてよ!
申し訳ないからせめてサポート行くわ。たぶん笑

まあ、男女混合駅伝とかでまた走ろ!
津野さんとかにも声かけて笑
全く運動しないってことは無いから走るとは思うんだけど、やっぱり走るにはモチベーションが必要でそれが記録会なわけ!

日体とかは??
ぜったいやだ。長い距離が好きだからロードレースがいい。
でも引退して思うのは、何で走れてたかってモチベーションがあったからだよ。
今ね、走ってねーもん。ぜんぜん。
で、やばいと思って試合にエントリーして。
やっぱね、モチベーションはあった方が良い。
だから俺はマネージャーにも試合に出て欲しいと思うよ。
400一本でも走って欲しい後輩が沢山いることをわかって欲しい!

最後の方、意味がよくわからないだけど!笑

今、走れてない子たちに何か
今すごい嬉しいのは、走れなさそうな子たちが一生懸命走ろうとしてくれるじゃん。
そういう姿からチームのことを思ってくれてるんだなっていうの伝わって。
もしかしたら今は走らないで怪我を治して、その後記録会とかで走った方がその選手の為には良いと思うんだよ。
でも今年は足が砕けても、後半を棒に振ってでも走りますって言ってくれてる子が多くて、それだけでも良いチームができたなって思う。
自分が支えるチームとして、そういうチームを支えられたのは本当によかったと思う。
だから本番は申し訳ないけど、そういう風にしたのは俺とかのせいかもしれないけど、頑張って走って欲しいなと思う。
そういう選手をやっぱり一番応援したいし。
でもまあ、走り終わったらとことん坂本にケアしてもらって下さい笑

今苦しい時期にいる、内山・濱松にも!
二人はすごい期待していた選手だけに、走れないのは残念であるんだけど。。。
でも特に濱松はすごい!彼のメンタルはすごいと思う。
俺だったらちょっと投げ出してたかもしれないけど、積極的に支える姿がやばい。
絶対やって欲しくないけど、もしマネージャーになったら俺よりもいいマネージャーになることは保障する。
ただあいつは速いから、走りで貢献できるから、絶対ならないでねっていうのも言っとく。

うっちーも今年の学生ハーフでのチーム2番ていう素晴らしい走りもあったし、慶應スポーツの取材でもうっちーのことは言った。
俺の中でうっちーはあの時の走ってる姿が生きてるし、うっちーは今も選手として考えてる。
頑張ることに関しては長距離で一番ストイックにできる一流のアスリートだと思います。

やりすぎた結果が今だもんね
そうそう。まあ、考えると思うよ今後は。
ストイックにもなれるし、考えられる選手にもなれるから、来年はすごい期待してます
今年は見れなかったけど、来年の走りは積極的に内山を応援するようにする。
だってあいつ来年は頑張るもん。
まあ、そんな感じですよ。皆いい選手で良かった。
そういう意味でも支えられてたかな。頑張ってない選手だったら途中でやめてたかもしれないから。

今年俺はマネージャーってポジションとして皆を支えてきたんだけど、どこまでできたかは分からないけど、でもここまでマネージャーとしてやる気にさせてもらえたのは周りにそれ以上に支えてもらったからだと思う。
マネージャーもはるひだったり古澤だったりが自分のことを受け入れてくれたし、トレーナーも坂本とかあっちゃんが自分のことをトレーナーとしても見てくれて協力してくれたり、実は最後に伊藤さんにも「木下は良く頑張ってくれたね」って言ってもらえて。これはもう涙出そうで。。。
っていうようなね。皆が気にかけてくれたり、齋藤とかが頼りにしてくれたからね。
やっぱりそういう人達がいなかったら、自分は皆を支えることもできなかったから。
皆を支えているつもりだったけど、実は自分が一番支えられてたんじゃないかって思います。
もしかしたら俺のことを「ありがとう」って思ってくれてる人がいるかもしれないけど、でも俺はその人に対してそれ以上の「ありがとう」を思ってるから。
だから支える立場になって、4年間で一番支えられてきたかなと思う年でした。
悔いはありません。
悔しいこともあったけど、でももしかしたらマネージャーになれて良かったかもねって思う。

きのぴー、ありがとう
今年一年、間違いなく木下は頼もしい相棒でした!
予選会や合宿、サポートで悩んだ時など、私は何度も木下に助けられてきました。
また自分は全然と言っていましたが、選手だったからこそできる木下のサポートにこういう部分は敵わないなあとも思ってきました。
今振り返って、本当に木下があの時辞めないで良かったなあと思っています。神田さんナイスです!!

私たちの代の予選会は終わってしまいました。
門出が本選という新たなステージに進んでくれたのは本当に本当に嬉しいのですが、私の代のチームで思うような結果を残せなかったのがこの一年皆の頑張りを見てきた分やっぱり残念でした。
後輩たちはゴジラ達のやってきたことや思いをしっかり引き継いで、新たなチームを作っていって欲しいと思います。
今年の悔しさは絶対に来年晴らして下さい!!
きのぴーお疲れ
またつけ麺連れて行ってね&これからは勉強頑張って!!

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